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ザ・ぼんち

ザ・ぼんち(The Bonchi)は、漫才コンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1973年コンビ結成。1980年代前半に一世を風靡した。タイヘイトリオに師事し、レツゴー三匹の弟弟子に当たる。おさむは3か月ほど「やらかす一石二蝶」というコンビを組んでいた、1973年デビュー。コンビ名の「ぼんち」は、山崎豊子の大阪・船場を舞台とした小説タイトルにもなった大阪の船場言葉で「器の大きい坊ちゃん」の意味である。松竹芸能からデビューしたが、和光プロダクションを経て吉本に移籍。毎日放送テレビ「ヤングおー!おー!」のユニット「チンチラチン」のメンバーで売り出し、一時は同局の「モーレツ!!しごき教室」にも出演して若手の注目株と目された。1980年、関西テレビの「花王名人劇場」やフジテレビの「THE MANZAI」で横山やすし・西川きよし、B&B(島田洋七・島田洋八)、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、太平サブロー・シローらと共に爆笑漫才を披露、漫才ブームの頂点を極めたコンビへと発展した。この当時大阪・東京の会場をヘリコプターで往復し、楽屋で過労防止のために点滴を打っていたと言われている。1981年、「恋のぼんちシート」でフォーライフからレコードデビュー、売上80万枚、オリコンでは最高位2位になる大ヒット曲となり、日本武道館を満員にした初の漫才師となった。発売当時吉本興業はこのレコードが売れるとは思わず、フォーライフからの30万円で原盤権買取の話を断ったという。1986年にコンビ解散。コンビ解散後は、おさむは「はぐれ刑事純情派」などのテレビドラマなどに出演、俳優としての活動を始めた。一方のまさとは、現芸名に改名し亀山房代とともに「里見まさと・亀山房代」という男女漫才コンビを組み、「ザ・ぼんち」として頂点を極めたにも関わらず若手と同じ扱いで再スタート。実績を重ね、遂には1998年に上方漫才大賞を受賞。亀山の妊娠により、2001年末にコンビを解散。2003年に「ザ・ぼんち」としての活動を再開。2014年には「THE MANZAI」に出場、認定漫才師50組に選出された。おさむ曰く当時、予選控え室や会場通路の至る所で練習熱心に励む若手の熱気と気迫に圧倒され、年数制限がないからと軽い気持ちの参戦を後悔した。しかし、認定という結果は当時のファン、高齢以外の層にも受け入れられたという自信に繋がり、活動の転機となった、以後若手中心のライブや学園祭に積極的に参加、記念ライブの会場に敢えてよしもとの常設劇場であるルミネtheよしもと、大須演芸場を選ぶなどベテラン、大御所という自覚を持たず若手と同じ目線、立場での芸能活動を展開している。吉本興業代表取締役会長の吉野伊佐男はザ・ぼんちの元マネージャーである。現在、中川礼二がモノマネをしたことによりTBSラジオで放送中の雨上がり決死隊がパーソナリティーを務める「雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!」にて話題になっている。コンビの設定は男前&ボケで、原点はアメリカの「底抜けコンビ」(ディーン・マーティン&ジェリー・ルイス)にある。おさむはルイスの大ファンであることを公言しており、髪型やダンス、芸風など重なる部分も多々ある。現在日本で発売されているDVDはルイス単独作だが、コンビものを見れば、いかにこのコンビが「マーティン&ルイス」の影響を受けているかが理解できる。おさむとまさとは大阪の興國高校の同級生である。同校の同級生としては他に九十九一がいる。おさむは売れない時代、月亭八方の経営する飲食店でアルバイトをしていた。その頃まだ顔が知られていないために客から、「兄ちゃん、オモロイから芸人になったらええで」とよく勧められたという。また吉本へ移籍する以前、小さな芸能事務所に在籍していた頃は、大手事務所に所属する芸人と放送局から差別的な待遇を受けた。これらの経験から「売れて見返してやろやないか!」という気持ちを奮い起したと語っている。タイヘイトリオ

出典:wikipedia

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