乾 正聰(いぬい まさあき、生年不詳 - 1805年9月15日(文化2年8月23日))は、土佐藩馬廻役で、家格は知行300石。土佐の奇人(いごっそう)。板垣退助の曾祖父。諱は正聰。幼名は金四郎で、字は丈右衛門と称す。乾正聰と子信武は父子2代に亘って資性剛果(いごっそう)で、反骨の気概があって当時の人を驚かせた奇行が『土佐史談』などに多く伝えられている。当時幕政は逼迫し、1787年(天明7年)に老中松平定信は奢侈禁止を旨として、武士であっても駕籠に乗るのを禁止する倹約令が出されていた頃、正聰は日ごろから釣遊を好み、遠くまで駕籠に乗って出掛けるのを趣味としていたが、突然の禁令によって当惑した。そこで、信武は一計を案じて従者数名に小舟を担がせ、自らはその舟の中に乗って釣場まで出掛けさせ、町行く人が之を見て咎めれば「これは駕(ガ)ではござらぬ。舟でござる」と答えたという。正聰の娘の婚礼の時、勤倹令が発令されていた時世であったので、婚家は婚具の豪華になることを避けて「互いに風呂敷包みに収まる程度にしよう」と取り決めをした。正聰は快諾したが、果たして婚礼の日に乾家は「箪笥、長持ち、鋏箱、手桶、盥、鏡台、下駄箱、雨具」などの婚礼用具一式をすべて巨大な家紋入りの風呂敷包みで覆って行列を為し、果ては花嫁の乗った駕籠までも大風呂敷で包んで送り出したため、土佐の人は大変驚いたという逸話がある。正聰は兵学に精しく、古今東西の兵法書を聚めて「その謄写せる書巻は、累積して数櫃に充つ」という。この書籍は曾孫の退助の代まで受け継がれ、退助は子供の頃からそれを読みあさり戊辰戦役の際、大いに軍略の参考になったという。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。