山下町(やましたちょう Yamashita-Chō)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島府下山下町。郵便番号は892-0816。人口は536人、世帯数は313世帯。(2009年9月末現在)。山下町の全域で住居表示を実施している。山下町という町名は町域北部にある城山の麓に位置することに由来している。鹿児島市の中心部に位置している。町域の北方には長田町、小川町、南方には金生町、中町、東千石町、西方には城山町、東方には易居町、名山町がそれぞれ接している。北部には町名の由来である城山があり(但し現在は城山町を挟んでいる)、南側には天文館などの歓楽街が位置している。また町域内にある照国神社前交差点は国道3号や国道10号、国道225号、国道226号の終点となっている。また、中央公民館前交差点は奄美大島や沖縄県を結ぶ国道58号の起点、桜島口までを結ぶ国道224号の終点である。町域の東端には鹿児島市役所があり、鹿児島市の行政の中心地となっている。かつては鹿児島県庁舎も設置されていたが、1996年(平成8年)に鴨池新町に移転している。江戸期は鹿児島城下士屋敷群であり、鹿児島城付近には藩役所の他に宮之城島津家、垂水島津家、加治木島津家、入来院氏、喜入肝付氏、吉利小松氏など大身層の屋敷が所在しており、岩崎には平士層屋敷群があり、岩崎郷中が置かれた。明治期になると、鹿児島県庁の所在地となり、県の行政の中心地となった。1879年(明治12年)には郡区町村編制法が施行され、山下町として成立した。1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下及び近在の47町3村の区域より鹿児島市が設置され、それまでの山下町は鹿児島市の町名「山下町」となった。1892年(明治25年)に現在の鹿児島市立美術館の位置に鹿児島市役所が山之口馬場町から移転し、県の中心としての役割の他に鹿児島市の中心としての役割も持つようになった。その後1937年(昭和12年)に現在地に移転している。1965年(昭和40年)には町域の一部が城山町、名山町、照国町に分割され、同時に山下町の全域で住居表示が実施された。1996年(平成8年)には町域内に明治期より所在していた鹿児島県庁舎が鴨池新町に移転し、2003年に県庁舎跡地にはかごしま県民交流センターが設置された。"この節では上記の文化財及び交通の節で記述した施設については割愛する。"市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。