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七宝瀧寺

七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)は、大阪府泉佐野市の犬鳴山の山中にある真言宗犬鳴派の寺院。山号は犬鳴山(いぬなきさん)。本尊は倶利伽羅不動明王。 661年、役小角によって大峰山山上ヶ岳の6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場である。「宇多天皇の御代、紀州の猟師がこの山域で狩りをしていた際、突然連れていた犬が激しく鳴きだし、結果猟師が射ようとしていた鹿が逃げてしまった。怒った猟師は犬の首をはねたのだが、その首はそれでも飛び跳ね、今まさに猟師に襲いかかろうと狙っていた大蛇に噛み付いた。犬は、主人が大蛇に狙われていることを知って鳴いていたのであった。愛犬に救われたと気付いた猟師は、これを悔いて七宝瀧寺の僧となって愛犬を供養した。 このことを聞いた天皇は、いたく感動し、七宝瀧寺に『山号を「いぬなきさん」と改めよ』と勅号を賜った」と伝えられている。(義犬伝説)本尊から数分歩くと滝の前に出る。行者の滝である。飛鳥時代の661年(斉明天皇七)開山の役行者が集合した場所のひとつと伝わっている。山中には他にも6つ、合計7つの滝があり、平安時代初期に大干ばつに見舞われたときに雨乞いを祈願して雨が降り、それを知った淳和天皇(じゅんなてんのう)が「七宝瀧寺」と名付けたという。近世初頭の「口上覚」によると、毎年5月に高野山から葛城巡行する先達たちは、犬鳴山に7日間留まり柴焼護摩を修したといい、「葛城山中で七日間も逗留するのはここだけだ」と述べられており、いかにこの山の地位が高かったかをうかがわせるものとなっている。南北朝期に六坊が創建され、室町期には二十坊の坊舎を有し、本堂の修復も行われて隆盛を迎えた。しかし豊臣秀吉の根来攻めによって本堂以外の堂舎を焼き払われ、田畑山林も没収され、一時は廃絶同然となった。のち岸和田城主より寺領五石の寄進を受け、ほぼ今日見られるまでに復興したものである。参道の両側に神社の瑞垣のような石柱が並んでおり「倶利加羅大龍不動明王(くりからだいりゅうふどうみょうおう)」「南無神変大菩薩」と染め抜かれた赤や黒ののぼりが立っている。修験道系の寺院であり、多数の祠があり、石の鳥居の奥には布袋尊も見えるなど神仏習合色が見られる。境内を流れる犬鳴川の北側には表行場、南側には裏行場がある。修験道の行場であり、相当に危険な箇所がある。

出典:wikipedia

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