


カール・アウグスト・ヴィルヘルム・ニコラウス・アレクサンダー・ミヒャエル・ベルンハルト・ハインリヒ・フリードリヒ・シュテファン・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ(ドイツ語:Karl August Wilhelm Nicolaus Alexander Michael Bernhard Heinrich Friedrich Stephan von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1844年7月31日 - 1894年11月20日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国の大公世子、およびザクセン公(Herzog zu Sachsen)。ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーとその妻でオランダ王ウィレム2世の娘であるソフィーとの間の一人息子として生まれた。カール・アウグストはザクセン(=ヴァイマル=アイゼナハ)大公国軍に勤務し、またロシア帝国軍イングリア驃騎兵連隊の中尉であった。またザクセン大公家の白鷹勲章の最高勲章とヘッセン=カッセル家の金獅子勲章を保持していた。1873年8月26日、カール・アウグストはフリードリヒスハーフェンで同族のヘルマン公子の娘で又従妹にあたるパウリーネと結婚した。2人の結婚式は予定日よりも延期された。ちょうどイタリア生まれのオペラ『アイーダ』のヴァイマルでの初演が重なったためであった。カール・アウグストの母ソフィーはオランダ王位継承順位において王位継承者ウィルヘルミナ王女に次ぐ立場にあり、したがってウィルヘルミナに子供が出来ない場合、オランダ王位継承権はソフィーの子孫に移ることになっていた。カール・アウグストはオランダ王位の推定相続人だったこともあって、オランダ語に堪能だった。カール・アウグストは結核に罹って長く病気に悩まされ、気候の良いとされるマントンで療養生活を送った。カール・アウグストは南フランスのロクブリュヌ=カップ=マルタンで父の死の6年前に亡くなったため、カール・アウグストの長男ヴィルヘルム・エルンストが祖父からザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公位を継いだ。彼はヴァイマル大公家の地下納骨堂に埋葬された。
出典:wikipedia
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