和田(わだ Wada)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧谿山郡谷山郷和田村、谿山郡谷山村大字和田、鹿児島郡谷山町大字和田、谷山市和田町、鹿児島市和田町。和田一丁目から和田三丁目までがあり、和田一丁目から和田三丁目までの全域で住居表示を実施している。人口は6,840人、世帯数は2,836世帯(2009年9月末現在)。郵便番号は891-0143。「和田」という地名は海の神であるワタツミ(綿津見神)の名前の一部である綿(わた)が訛り、和田と呼ばれるようになったことに由来する。鹿児島市南部(谷山地区)、和田川下流域に位置している。町域の北方には谷山中央及び慈眼寺町、南方には坂之上、西方には下福元町、東方には南栄がそれぞれ隣接している。町域を南北に国道225号(国道226号と重複)、東西に鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線が通っている。教育施設は中央部に鹿児島市立和田小学校、南部に鹿児島市立和田中学校が所在している。和田という地名は室町期より見え、薩摩国谿山郡のうちであった。江戸期には谿山郡谷山郷(外城)のうちであり、村高(石高)は「天保郷帳」では538石余、「旧高旧領取調帳」では538石余であった。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、谷山郷の区域より谷山村が成立し、江戸期の和田村は谷山村の大字「和田」となった。1897年(明治30年)には谿山郡が鹿児島郡に編入されたことにより、鹿児島郡の所属となり、1924年(大正13年)9月1日には谷山村が町制施行したことにより、谷山町の大字「和田」となる。1957年(昭和32年)10月1日に谷山町が市制施行し、谷山市となった。同時に大字を町に改め、従来の大字名の和田に「町」を付記し、「和田町」となった。1967年(昭和42年)4月29日には谷山市が鹿児島市と合併し、鹿児島市の町名「和田町」となった。1996年(平成8年)2月13日に和田町の一部で住居表示を実施するのに伴い町名整理が行われ、和田一丁目及び和田二丁目が設置された。同年11月18日には和田町及び上福元町の一部が慈眼寺町に編入され、2008年(平成20年)2月25日には和田町及び下福元町の一部より坂之上一丁目から坂之上八丁目が新設された。2013年(平成25年)11月11日に和田町の全域及び谷山塩屋町の全域を以て和田三丁目が設置され、和田町及び谷山塩屋町は廃止された。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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