LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

上福元町

上福元町(かみふくもとちょう Kami Fukumoto-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧谿山郡谷山郷上福元村、谿山郡谷山村大字上福元、鹿児島郡谷山町大字上福元、谷山市上福元町。郵便番号は891-0116。人口は12,379人、世帯数は4,871世帯(2009年9月末現在)。鹿児島市南部(谷山地区)、永田川下流域に位置している。町域の北方には中山町、東谷山、清和、南方には西谷山、谷山中央東方には東谷山、南方から西方にかけて下福元町がそれぞれ接している。町域中央部には鹿児島市立西谷山小学校、北部には鹿児島市立清和小学校がある。交通は南部をほぼ東西に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が通っており、中央部付近を指宿スカイラインが南北に通る。町域内には谷山インターチェンジがあり、指宿方面へ接続する指宿スカイラインと国道225号方面を結ぶ鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線が分岐している。上福元という地名は江戸期より見え、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった。また、上福元村は下福元村と共に福本村と称していることもあったとされる。地内には谷山郷の地頭仮屋が所在しており、その周辺には麓が形成されていた。村高は「旧高旧領」には3,191石余であった。山川路沿線には町場が広がり、その町場は松崎町と称されていた。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上福元村、下福元村、和田村、塩屋村、松崎町、平川村、中村、五ケ別府村の区域より谷山村が成立し、上福元村の区域は谷山町の大字「上福元」(1924年の町制施行の際も同じ)となった。1958年(昭和33年)に谷山町が単独で市制施行し谷山市となり、それまでの大字上福元は谷山市の町名「上福元町」となった。1969年(昭和44年)には谷山市が鹿児島市と新設合併し鹿児島市となったのに伴い、鹿児島市の町名となった。1976年(昭和51年)に魚見町、1979年(昭和54年)には小松原一丁目及び東谷山一丁目、1982年(昭和57年)には東谷山二丁目及び東谷山三丁目に一部が分割された。1988年(昭和63年)2月15日には上福元町の一部より東谷山四丁目及び東谷山五丁目が設置され、1990年(平成2年)には一部より小原町、自由ケ丘一丁目及び自由ケ丘二丁目、希望ケ丘町が新設され、魚見町の一部に編入された。1996年(平成8年)には谷山市街地の区域が谷山中央一丁目から谷山中央四丁目に分割された。1997年(平成9年)2月17日には上福元町及び中山町の一部より東谷山六丁目が設置され、2001年(平成13年)に上福元町の一部より清和一丁目及び清和二丁目が設置された。2014年(平成26年)2月17日には谷山第二地区土地区画整理事業の事業区域の一部で谷山第二地区(第一期)として住居表示が実施され、上福元町の一部より谷山中央八丁目の全域、西谷山一丁目の全域及び西谷山二丁目の一部が設置された。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。町域内には駅は所在していないが町域内を指宿枕崎線が通っており、隣接する谷山中央一丁目に谷山駅、慈眼寺町に慈眼寺駅が所在している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。