ピンキー青木(ぴんきーあおき、本名:青木悟、1961年4月16日 - )は、日本のミュージシャン、歌手。ザ・ファントムギフトのリードボーカルを務めていたことで知られる。大の愛猫家である。1974年:THE DOORSの1st.アルバム「ハートに火をつけて(same titled LP)」を聴き、強烈な感銘を受ける。1977年:愛知県立豊橋東高等学校入学。現・映画監督、園子温らとアマチュアロックバンド結成。当時のレパートリーはストラングラーズや頭脳警察のコピーが目立つ。アルチュール・ランボー、ボードレール、中原中也、小林秀雄、太宰治、ジャックスなどに多大な影響を受ける。1982年:福生市、米軍横田基地にて、リード・ギターとしてバンド参加。1983年暮れ:ザ・ファントムギフト(THE PHANTOM GIFT)を結成。ボーカルの他、作詞作曲も担当した。ネオGSブームの牽引役として、後世のバンドに多方面に渡り多大な影響を及ぼす。尚、ピンキー青木及びザ・ファントムギフトに感銘を受けたミュージシャン及び音楽評論家として、以下が代表的である。1986年:多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。在学中、太宰治研究者である奥野健男の薫陶を受ける。1989年:ザ・ファントムギフト(THE PHANTOM GIFT)脱退。1990年:後にDragon Ashに加入する馬場育三らとPinky & The Crazy Love Machine(後にTHE CRAZY LOVE MACHINEと改名)を結成、1991年VIVID SOUNDよりアルバム『PINKY & THE CRAZY LOVE MACHINE』をリリース。パンタ(頭脳警察)いわく、「ピンキーこと青木君とは古い付き合いになるが、当時、ネオGSの仕掛け人、先駆けとしての彼にはとても興味を覚えた物だ。その彼がニューグループとして戻ってきた。驚く無かれ、そのサウンドは黒のポップス、赤の叫び、群棲の激しい雄たけびの中のジャックスといったものだった。彼にとってはまだまだ新しい試みは尽きないのかもしれないが、とりあえず、その変身ぶりは、俺を驚愕のCHAOSの中へ招待してくれた!」1992年:Pink Boxよりソロ・アルバム『Pinky/Punk Alone』リリース。1995年:自らのレーベル「Psych Up Records」設立。1996年:米国カリフォルニア州サン・フランシスコにて海外では初のライヴ・コンサートに出演。バックのメンバーはのDrums:Russell Quan、のBass:Michael Lucas。1997年:米国カリフォルニア州パロアルト出身のガールズバンド、の日本コンサート・ツアー企画、興行を主催。まだ、本国では無名だったの存在を世界に先駆け日本でブレイクさせる。後にアトランティック・レコードよりメジャーデビュー。2000年:ガレージパンクバンド、LA MONSTER VIOLENTAのリード・シンガーとして"Jenny The Deceiver" "Rock'n'Roll Bitch" "Che! CHe! Che!"3 tracks 7"EP(アナログ)をリリース。2001年:米国のラジオ番組、にLA MONSTER VIOLENTAのPinky Aokiとして単独生出演。2004年:米マサチューセッツ州ブライトンに移住。現地にて音楽活動を開始。しかし、病気療養のため、2006年帰国。2007年:1991-2007年までの未発表音源集、馬場育三(Bass)、長谷川陽平(Guitar)、藤掛正隆(Drums)在籍時代のTHE CRAZY LOVE MACHINEの未発表曲集、ピンキー青木 & K.N.R.S.、Pinky Aoki & FIRE ENGINE、LA MONSTER VIOLENTAの未発表曲、未発表テイクも含むソロアルバム『Unknown Goldmine』リリース。パンタ(頭脳警察)、Baki(GASTANK、MOSQUITO SPIRAL)、秋山勝彦(元P-MODEL)がゲスト参加。2011年:名古屋の某有名パンクバンドに在籍経験を持つMiki fresh、名古屋の某ゴシックバンドに在籍していたRyoと共に、PRMを結成。精力的なバンド活動を再開。2015年6月12日、6月14日、N.Y.C.(Brooklyn)でソロ・ライヴを決行。TVCMその他多数
出典:wikipedia
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