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仮面ライダーV3対デストロン怪人

『仮面ライダーV3対デストロン怪人』は、1973年(昭和48年)7月18日に「東映まんがまつり」の一編として公開された東映の中編映画作品。カラー、シネスコ、上映時間は32分。日本列島を「変身ブーム」に包んだ『仮面ライダー』の続編『仮面ライダーV3』の劇場オリジナル映画。同年3月の「東映まんがまつり」の春興行では、テレビ本編の第2話「ダブルライダーの遺言状」(1973年2月24日放送)をシネスコサイズにトリミングしたものが上映されたが、劇場用完全オリジナルとしては本作が初となる。併映のアニメ作品『マジンガーZ対デビルマン』を意識してか、決定稿脚本は『V3対ダブルライダー』と題されていた。公開当時のキャッチコピーは、「ついにきた全面戦争のとき ゆけ! 戦え! 三人の仮面ライダー」。テレビ本編第2話で退場した仮面ライダー1号・2号が、本編に先駆けて再登場した。素顔では登場していないが、藤岡弘と佐々木剛が声を担当している。ロケは四国を中心に敢行され、「日本高速フェリーK.K」の「さんふらわあ」や「ホテル奥道後」とタイアップし、「奥道後バス」や「くるしまドック」などの関連施設、高知城など四国の名所を織り込んで行われた。当時は仮面ライダー人気が好調で作品知名度も高かったため、白バイでパレードを組まれたこともあった。このロケは同工異曲のストーリーによって、テレビ本編の第20話「デストロン四国占領作戦」や第21話「生きていたダブルライダー」と同時進行で行われたこともあり、ギロチンザウルスやドクバリグモは映画・テレビにまたがって登場する。両怪人とも本来はタイホウバッファロー同様、映画用の新怪人として用意されたが、テレビに先行登場する形となった。本作での四国タイアップロケは、そっくりそのまま同じ形式で『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)でも、テレビ本編と劇場版のロケ順路として使われている。テレビでも散見される火薬による大規模な爆発は、本作でもふんだんに採り入れられている。室戸岬を舞台とした無人島基地の撮影は、地元の網元の孫がV3ファンだった縁もあり、漁業協同組合の許可を得て行われたが、あまりの爆発の勢いに海岸の地形が変わってしまったほどで、担当官庁から叱責を受けたという。また、くるしまドック内での爆発撮影では、近所の民家から通報される騒ぎとなっている。ここまで大掛かりになった理由は、軽トラック一杯に用意された火薬が些細な運転ミスで大爆発事故を引き起こしかねず、持って帰りたくなかったからすべて現地で使ってしまったためだという。最終決戦のロケは、四国ではなく青梅市の採石場で行われた。四国ロケに運ばれた怪人のスーツはタイホウバッファロー、ギロチンザウルス、ドクバリグモの3体のみであり、ドクトルG役の千波丈太郎も同行していない。原子物理学者・沖田徹夫博士は、四国山脈の山奥で幻の超放射能元素と言われたサタンニウムを発見した。それは原子爆弾の原料に使われるウラニウムの数百倍の放射能を持つ、特殊な鉱石だった。悪用を恐れた沖田は、東京への帰路でフェリー・さんふらわあからサンプルの鉱石を海に捨てようとするが、それはデストロンの狙うところとなっていた。沖田は鉱石ごと、黒服の男によって和歌山県勝浦沖で拉致されてしまう。風見志郎と立花藤兵衛は、勝浦沖のデストロン無人島基地に向かって沖田を救出したが、彼は怪人タイホウバッファローに殺されてしまう。やがて、志郎と藤兵衛は珠純子やシゲルとともにデストロンを追って四国に向かい、そこを舞台に仮面ライダーV3とデストロンの戦いが展開する。さらに、オーストラリアでデストロンと戦っていた仮面ライダー1号・2号が帰国し、V3に加勢する。※ 映画クレジット順※ 映画クレジット順いずれも東映ビデオより発売。

出典:wikipedia

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