ブレイン・ダメージ(Brain Damage、1977年12月14日 - 2012年10月18日)は、アメリカ合衆国出身のハードコアレスラー。身長おおよそ193センチメートル、体重おおよそ123キログラム。本名マービン・ランバート。その経歴のほぼ全部を通してコンバット・ゾーン・レスリングとIWAミッドサウスを主舞台に活動してきた。オハイオ州のマンズフィールドに生まれ、2000年―22歳の時にプロレスラーとしてのデビューを行った。この年にさっそくIWAミッドサウスのキング・オブ・ザ・デスマッチ選手権大会に出場し、ミスター・インサニティーことトビー・クラインを撃破。それからしばらくの空白期間を経て再びKOTDMに参加し始めた2005年にあっては、コンバット・ゾーン・レスリングのトーナメント・オブ・デス選手権大会への初出場をも果たした。それからというもの2006年〜2007年と欠かさずこれらの大会に出場し、ネクロ・ブッチャー、ミッチ・ペイジ、トビー・クライン、ディレンジド、ドレイク・ヤンガー、ディスファンクション、ミッキー・ナックルズなどといった選手らを相手に歴戦。そうしたなかで2006年にあっては、ディレンジドと組んだうえで、イアン・ロッテン∽ドレイク・ヤンガー組からIWAミッドサウスのタッグ王座を奪取。翌2007年にはドレイク・ヤンガーの保持下にあったCZWのウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座の奪取に挑戦し、有刺鉄線やガラスを用いた一戦を行った末に、これに勝利しこの王座を獲得。そして同年のうちに催されたTODの『ファスト・フォワード』という番外大会に参戦。ウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座が賭けられていたこの大会にあって、ダニー・ハボック&JCベイリー&スコッティー・ヴォルテクズとともに行った決勝戦―200本の蛍光灯が乱舞したバトルロイヤル方式のデスマッチを制し、自身2度目のウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座の戴冠を果たすと同時に、遂にはTODの覇者の栄杯の獲得を果たす結果となった。この年にはIWAイーストコーストのデスマッチ選手権大会―マスターズ・オブ・ペインへの初出場をも行い、ネクロ・ブッチャーとマッドマン・ポンドを破って決勝戦にまで進出するも、やがてはコーク・ヘインに下されそのまま敗退していった。2008年にはジョーカーとDJハイドを下してCZWアイアンマン王座を2度にわたって獲得。その翌2009年のTODはジョン・モクスリーを相手に一回戦目で敗退。同年に開かれた番外のTOD:リワインドにあっては、MASADAを相手に同じく一回戦目で敗退していった。2012年10月18日、死去。自殺と見られている。。
出典:wikipedia
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