高倉 麻子(たかくら あさこ、1968年4月19日 - )は、福島県福島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現サッカー日本女子代表、U-23サッカー日本女子代表、U-20サッカー日本女子代表監督。選手時代のポジションはミッドフィールダー。夫はサッカー指導者の竹本一彦。福島市立岡山小学校時代、福島市の岡山スポーツ少年団に入団しサッカーを始める。福島市立福島第三中学校の頃、東京都リーグのFCジンナンに入部。1983年、15歳の時にサッカー日本女子代表に初選出され、1984年、16歳の時にイタリア戦で代表デビューを果たした。中学卒業後、福島成蹊女子高(現福島成蹊高等学校)に入学したが女子サッカー部がなかったため、サッカーの練習は男子校である福島県立福島工業高等学校で練習し、週末は三菱養和クラブに通った。和光大学に入学するまでは週末に東京へ通う生活を送る。1985年、読売日本サッカークラブ・ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)に入団。1989年の第1回日本女子サッカーリーグ(現なでしこリーグ)でリーグ初得点を上げた。1991年、中国で開催された第1回FIFA女子世界選手権(後の FIFA女子ワールドカップ)に出場した。1995年、第2回FIFA女子ワールドカップ スウェーデン大会に出場し、ベスト8まで勝ち進んだ。1996年、アトランタ五輪に出場した。1999年6月に松下電器女子サッカー部バンビーナへ移籍。これは、読売ベレーザ所属時代に知り合い結婚した竹本一彦がガンバ大阪へ移ったことに伴う。同シーズン終了後、アメリカのシリコンバレー・レッドデビルズ (Silicon Valley Red Devils) に入団するが、ケガのため半年で帰国。バンビーナから名称を変えたスペランツァF.C.高槻に復帰した。2004年シーズン終了後に現役を引退。公式戦出場226試合は2004年当時歴代1位の記録だった。2011年6月21日、女性では3人目となるJFA 公認S級コーチライセンスを取得。2013年より2014 FIFA U-17女子ワールドカップを目指すU-16サッカー日本女子代表チーム監督に起用され、2013年10月のAFC U-16女子選手権を制覇してFIFA U-17女子ワールドカップコスタリカ大会への出場権を獲得。2012年、2013年にアジアサッカー連盟が定める「アジア年間最優秀コーチ(女子の部)」を受賞。2014年3月、コスタリカで開催された2014 FIFA U-17女子ワールドカップに臨み、グループリーグ、決勝トーナメントを無敗で勝ち上がり、4月4日に行われた決勝戦でスペイン代表に2-0で勝利してU-17女子ワールドカップ初優勝を果たした。2014年9月より2016 FIFA U-20女子ワールドカップを目指すU-18サッカー女子日本代表監督に就任した。2014年11月、AFC女子年間最優秀監督に3年連続3度目で選出された。2015年8月、中国・南京で開催されたAFC U-19女子選手権2015で優勝を果たした。2015年11月、AFC女子年間最優秀監督に4年連続4度目で選出された。2016年4月27日、3月に退任した佐々木則夫の後任として、サッカー女子日本代表の監督に就任(U-20代表監督と兼任)。日本では男女のA代表を通じて初の女性監督となった。代表監督就任後最初の指揮は、同年6月にアメリカで行われたアメリカ代表との国際親善試合2連戦となった。6月2日、コロラド州コマースシティーのディックス・スポーティング・グッズ・パークで行われた第1戦では、前半14分に岩渕真奈のゴールで先制すると、続く前半22分には大儀見優季のゴールで2-0とリードしたが、前半27分のアレックス・モーガンのゴールで1点を返された。後半12分に大儀見が2枚目のイエローカードを貰い退場となったことで試合の流れはアメリカに傾き、後半19分にモーガンに2点目となるゴールで同点とされると、後半44分にはリンジー・ホランにゴールを許しついに2-3と逆転された。このまま試合終了かと思われたが、アディショナルタイムに途中出場の横山久美のゴールで同点に追いつき、高倉にとっての初陣は3-3の引き分けとなった。6月5日、オハイオ州クリーブランドのファーストエナジー・スタジアムで行われた第2戦では、前半27分にジュリー・ジョンストンに先制ゴールを許すと、後半17分にはアレックス・モーガンにゴールを決められ、その後試合は後半31分に雷雨により中断し、そのまま中止となった。226||44|||||||||||||
出典:wikipedia
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