


中山(ちゅうざん Chūzan)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧谿山郡谷山郷中村、谿山郡谷山村大字中、鹿児島郡谷山町大字中、谷山市中町。中山一丁目、中山二丁目及び中山町があり、中山一丁目及び中山二丁目では住居表示を実施している。郵便番号は中山一丁目及び中山二丁目は891-0108、中山町は891-0105。人口は9,650人、世帯数は3,563世帯(2010年2月末現在)。中山町の町名の由来については「#町名の由来」を参照。鹿児島市の南部、永田川の中流域に位置している。町域の北方には山田町、南方には上福元町、西方には鹿児島市春山町、鹿児島市五ケ別府町、日置市吹上町与倉、東方には桜ケ丘、魚見町、自由ケ丘がそれぞれ接している。町域の東部を南北に鹿児島県道210号小山田谷山線が通っており、中央部を指宿スカイライン(鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線)が南北に通っている。教育機関は町域の中央部に鹿児島市立中山小学校がある。中村という地名は南北朝期より見え、薩摩国谿山郡の村名であった。至徳4年の平忠信(知覧忠信)寄進状に「薩摩国谷山郡之内中村水田壱町」と見えるのが中村という地名の初見であると考えられている。また、この寄進状により山田村にあった皇徳寺に水田が寄進されている。江戸期には薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった。詳細な年代は不明であるが、江戸初期頃は山田郷に属していたとされる。「三国名勝図会」や「薩摩国郷村石附帳」によると山田郷はその後伊佐智佐郷と合併し、谷山郷となった。村高は「天保郷帳」では2,486石余、「旧高旧領」では2,467石余であった。1889年(明治22年)に町村制が施行したのに伴い、谷山郷の区域より谷山村が成立し、江戸期からの中村の区域は谷山村の大字「中」(なか)となった。その後1924年(大正13年)に谷山村が町制施行し谷山町中となる。1958年(昭和33年)には谷山町が市制施行し、谷山市の町名「中町」となった。1967年(昭和42年)に谷山市が鹿児島市と合併し、それに伴い中から中山(ちゅうざん)と改められ、鹿児島市の町名「中山町」となった。1976年(昭和51年)に中山町の一部が魚見町、1978年(昭和53年)には桜ケ丘一丁目から桜ケ丘七丁目に分割された。1997年(平成9年)2月17日には中山町の一部より東谷山七丁目に分割され、同年11月17日には中山町及び山田町の一部で住居表示が実施されたのに伴い、中山一丁目及び中山二丁目が設置された。2001年(平成13年)には中山町の一部が清和二丁目となった。中山町は1967年の谷山市と鹿児島市の合併までは谷山市中町であったが、それまでの鹿児島市に中町が存在していることから、合併により同一市内に同一名称の町名が存在することを回避するために、現在の鹿児島市立中山小学校の校名から取り、合併と同時に中町から中山町(ちゅうざんちょう)に改称した。中山小学校の名称の由来は1887年(明治20年)に中村に設置されていた辺田学館、白山小学校、山田村(現在の山田町)に設置されていた黒丸小学校を統合し、2つの村名から取り、中山小学校が中村に設置されたことに由来する。市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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