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田捨女

田 捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、1634年(寛永11年) – 1698年9月13日(元禄11年8月10日))は、江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞である。法名は貞閑で、貞閑尼とも呼ぶ。田捨女は1634年、丹波国氷上郡柏原藩(現在の兵庫県丹波市柏原地域、当時の藩主は織田信勝)に、柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として誕生した。6歳のときという俳句を詠み、周囲にその才を認められる。後に北村季吟に師事。1674年(延宝2年)夫が死去したため髪を下ろし妙融と号した。この頃にはすでに貞門女流六歌仙の1人として著名であった。その後子供らの独立を見届けた後、京都で俳諧・仏道などの修行を重ねた後、1688年(元禄元年)播磨国の天徳山龍門寺の傍らに「不徹庵」という庵を構え、貞閑と改名。その地で後進の指導に当たった。1698年に死去し龍門寺に葬られた。龍門寺には現在も捨女の墓がある。捨女の生誕地である柏原町の丹波市立崇広小学校には捨女を顕彰する記念の石像が、また資料館として柏原町歴史民俗資料館がある。また捨女の名を冠した俳句のイベントが定期的に開催されるなど、地元での認知度は高い。子孫に財界人田艇吉、枢密院顧問官や閣僚を歴任した男爵田健治郎、参議院議員田英夫らがいる。

出典:wikipedia

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