


レイモンド・ウェルズ(, 1880年10月14日 - 1941年8月9日)は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優である。本名フランク・ウェルズ・マーティン()、レイモンド・B・ウェルズ()とも名乗った。1880年(明治13年)10月14日、イリノイ州アンナに生まれる。満35歳を迎える1915年(大正4年)、ミューチュアル・フィルム配給の短篇映画 "Rose Leaves" に主演したのが、映画界でのもっとも古い記録である。1916年(大正5年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、ルース・ストンハウスを主演に "The Law and the Lady" を監督して、映画監督に転向する。ユニヴァーサル傘下のブルーバード映画では、1917年(大正6年)、ルース・ストンハウスを主演に『美人の犯罪』を監督、また同年、ジョセフ・ド・グラス監督、フランクリン・ファーナム主演の『恐ろしき里』に俳優として出演、いずれも日本でも公開された。同年中にトライアングル・フィルム・コーポレーションに移籍、短篇映画を量産する監督となる。満39歳を迎える1919年(大正8年)にはまたユニヴァーサルに戻り、ハーバート・ヘイズ主演の短篇映画 "The Ranger of Pikes Peak" を監督して、映画界を離れる。同作をもって映画監督は休業する。1926年(大正15年)、満46歳のとき、俳優として映画界に復帰する。満48歳となる1928年(昭和3年)、9年ぶりに映画監督として復帰、ガードナー・ジェームズを主演に "Souls Aflame" を撮る。1929年(昭和4年)、自らの製作会社レイモンド・ウェルズ・プロダクションズを設立、自らが主演・監督するサイレント映画 "The Lure of the South Seas" を世に送るが、同作をもって監督業は廃業となった。4年の沈黙ののち、1933年(昭和8年)、ジェイ・ウィルシーの監督・主演作 "Trails of Adventure" に出演、同作はウェルズにとって初のトーキーであったが、同作をもって事実上引退した。1941年(昭和16年)8月9日、カリフォルニア州ロサンゼルス市で死去した。満60歳没。特筆を除きすべて監督作である。
出典:wikipedia
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