『悲情城市』(ひじょうじょうし、原題:悲情城市、、英題: "A City of Sadness")は、1989年製作の台湾映画。日本統治時代の終わりから、中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会が描かれている。公開当時は台湾の戒厳令解除から僅か2年後であり、台湾内で二・二八事件が公に語られることは多くはなかった。舞台となった九は、この作品の成功によって台湾でも屈指の観光名所となった。梁朝偉は台湾語が話せなかったため、聴覚障害者の役(文清)になったといわれる。侯孝賢の後作『戯夢人生』(1993年)では、この作品の直前の時代にあたる、日本の支配の始まりから終わりまでが語られている。1945年8月15日、台湾では昭和天皇の玉音放送がラジオで放送される。それは51年間にわたる日本統治からの解放を意味していた。その日、田寮港の林家では長男・文雄(陳松勇)の妾宅で男児が誕生した。船問屋である林家の主は75歳の阿祿(李天祿)。次男は軍医として南洋に、三男は通訳として上海に徴用(日本人として)されて帰ってこない。耳が聞こえず話せない四男の文清(梁朝偉)は、郊外で写真館を経営していた。文清は、写真館に同居している教師の呉寛榮(呉義芳)の妹で、看護婦として病院に働きに来た寛美(辛樹芬)を迎えに出る。寛榮は、小川校長(長谷川太郎)の娘で、台湾生まれの静子(中村育代)と秘かに愛しあっていたが、日本人は故国に帰らねばならなくなった。そして静子は、寛美に寛榮への思いを託して台湾を去っていった。ある日、精神錯乱状態の中で生還してきた三男の文良(高捷)のもとに、文雄の妾妻の兄である阿嘉(張嘉年)が、上海ボス(雷鳴)を連れてやって来て、阿片の密輸をそそのかすが、やがてそれは文雄にばれることとなり、彼の幼なじみの阿城(林照雄)との間の争いに発展してしまう。この事件は、一応決着をみせるが、ある冬の日、何者かの密告によって、漢奸の疑いで文良が逮捕されてしまう。意を決した文雄は、阿嘉を連れて上海ボスと対面し、文良を釈放してやってほしいと頼み込むが、文良はおびただしい血を吐いて帰宅してきた。1947年2月27日、台北でヤミ煙草取締りの騒動を発端として、本省人と外省人が争う〈二・二八事件〉が勃発する。寛榮と文清は臨時戒厳令がしかれた台北へ向うが、文清が無事帰宅した数日後、寛榮が足を折って戻ってきた。台湾省行政長官として赴任している国民党の陳儀将軍は弾圧を命じ、やがて文清が逮捕された。口がきけずに釈放された文清は、次々と処刑された仲間の遺品を遺族に届ける旅に出、ある山奥でゲリラとなって身を潜める寛榮と再会した。その頃文雄は、入りびたっていた賭博場で阿嘉の喧嘩に巻き込まれ、上海ボスの拳銃に命を落とした。その数日後、文清と寛美の結婚式が行われ、やがてふたりの間に男の子が生まれた。そんなある日、山からの使者が、軍隊が山に踏み込み寛榮たちが銃殺されたことを伝え、文清にも逃げるように言うが、彼らには行く場所はなかった。文清が最後の家族写真を撮ってから数日後、文清は静かに逮捕され、消息を絶った。1949年12月、大陸で敗北した国民政府が台湾に渡り、台北を臨時首都に定めるのだった。
出典:wikipedia
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