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稲葉浩志

稲葉 浩志(いなば こうし、1964年9月23日 - )は、日本のボーカリスト・作詞家・作曲家・シンガーソングライターであり、音楽ユニット・B'zのメンバーである。ソロ活動の際には作曲とレコーディング等でのギター、アレンジ、プロデュース等も担当する。岡山県津山市出身。 既婚。所属レコード会社はビーイング、レーベルはVERMILLION RECORDS所属。所属事務所はVERMILLION。当時大学生で歌手を志していた稲葉は音楽雑誌『ロッキンf』に目を通していたところ、音楽制作会社ビーイングが主催していたボーカルスクール「ビーイング音楽振興会(現・Being Music School)」のスクール生募集の広告が目に留まった。その欄に当時ファンであったLOUDNESSなどのアーティストの名前が明記してあったため、「ここだな!」と思い通い始めたのが最初である。ボーカルスクールは小さいマンションにスクールのオフィスと、ドアだけ防音にした音を出せる部屋があり、そこでレッスンをしていた。レッスンはカラオケを使ったもので、自分の歌いたい歌、もしくは、講師の先生が勧めてくる曲を歌っていた。ボーカルスクールは歌のレッスンのみで、そこから事務所が「そこそこ使えそうな人間だな」と思うと、歌手活動への抜擢や、コーラスのバイトを任されたりする。そのため稲葉自身、自分のバンドは自分でやるしかないので、友達とバンド活動をしていた。スクールに入所してしばらくすると、稲葉をデビューさせるためのプロジェクトが発足し、通称「稲葉バンド」というバンドも結成された。そのバンドには、後にB'zのサポートベーシストとなる明石昌夫も在籍していた。しかし、ライブ活動をするわけでもなく、メンバーもコロコロと変わり、結局自然消滅した。稲葉はその時期に、あるメジャー・レーベルのオーディションを2つのバンドで受けたが、どちらも受からなかったという。その後、稲葉の歌が収録されていたデモテープが松本孝弘の耳に留まる。そして松本が稲葉を誘いB'zを結成、1988年9月にデビューとなる。B'zでは曲先(松本孝弘が作った曲の原型がある状態で作詞をする)の場合がほとんどであるが、ソロでは曲先と詞先(何らかの詞がすでにあり、それに基づいて作曲をする)の場合がある。B'zとして活動を始めてから作詞をすることになったが、はじめは字を書いてそれを歌うことが恥ずかしかったという。また、英語の仮歌に日本語をのせていくことに違和感があってナーバスになることが多かったとも述べている。特に、B'zの2ndアルバム『OFF THE LOCK』制作時は曲がすでに出来上がっているのに詞が全然書けないためにすべての作業が遅れてしまい、憂鬱な日々を過ごした。後にあの時苦しんで書き上げたことがすごく勉強になったとしているが、アルバムを聴くと当時のことを思い出してどんよりした気持ちになるともいう。4thアルバム『RISKY』の頃から言葉を使う意志がはっきりしてきたと述懐している。作詞の基本姿勢について「言葉の種類も手法も自由に何でも使える。タブーを作らないで書くこと。」と述べている。また、松本の奏でるギター・ソロから歌詞のテーマが生まれてくることもあり、「音色は語るんです」としている。阿川佐和子と対談した際には「ロックの歌詞の定番みたいなものは、恥ずかしくて嫌だった。」、「ロックのサウンドに、僕のコモンセンスな歌詞がのったから新鮮だったんじゃないでしょうか。」と話している。2ndアルバム『OFF THE LOCK』は、現在の稲葉の歌詞に通じる柔軟な表現になってはいるが、実はこのアルバムの製作時が一番辛い時期だった。曲は既に出来上がっているのに、曲のテーマと詞の作風が全く合わなかった状況に大変焦れて、常に作詞を強要されるのが憂鬱でしょうがなかった。また、苦労して作詞をしても周りから批判されるので、「途中で投げ出して逃げたいと何度も思った」と後のインタビューで語っている。このアルバムを聴くと拒絶反応を起こすことがあるという。3rdアルバム『BREAK THROUGH』以降は、独自の作詞スタイルを確立するため、ロックでは敬遠されるような言葉や口調を積極的に取り入れるようになったと、雑誌「音楽と人」1998年1月号のインタビューで述べている。「太陽のKomachi Angel」・「ギリギリchop」など、意図的にユニークな表現を取り入れるなどの遊び心も散見される。松本もこれを楽しんでいるようで、「愛のバクダン」については、リリース時のインタビューで「『ギリギリchop』以来の名タイトル」と評している。近年では応援歌や人生訓的、社会批判的な歌詞も増えてきており、作詞家としての幅も広い。恋愛をテーマとした歌詞の場合でも、シチュエーションは多様だが、ほとんどは女性上位で尻に敷かれているような男性を主人公に置く事が多い。それ以外では、己の不甲斐無さ、未熟さを憂う自虐的・自省的な歌詞も度々登場する。2011年ごろから、B'zの過去の楽曲の英詞バージョンを多く作成している。その際の英詞の作詞は、B'zのサポートメンバーのシェーン・ガラースとの共同制作となっている。稲葉がシェーンに原曲歌詞のコンセプトを説明し、それにシェーンが稲葉と調整しながら英詞を当てはめていくという手法を取っている。特にライブツアー前の体調管理には細心の注意を払っており、B'z結成20周年の時に放送された『NHKスペシャル メガヒットの秘密〜20年目のB'z』などでその様子が明らかにされている。稲葉自身はこれを「ツアー病」と呼んでおり、ツアー最終日を迎えるためにすべての生活を度が過ぎるくらいに神経質に管理してしまうという。『B'z LIVE-GYM '91〜'92 "IN THE LIFE"』の頃に喉の調子が狂ったことから禁煙トレーニングを実行し、非喫煙者になっている。また、この頃の喉の不調は体を鍛え始めたことによってついた背中の筋肉が凝っていたことが原因であったと述べている。喉に対しても過剰と言えるくらいの神経質な面を持ち合わせていたが、『B'z LIVE-GYM 2003 "BIG MACHINE"』の頃に喉を壊してからは多少開き直りも含めて神経質な感じはなくなったとしている。ストイックな体調管理をしていると思われているが、稲葉としては厳格にきっちり行っているということではなく、自身の失敗による経験がデータとして蓄積されて現在に至ると述べている。稲葉は後になって『NHKスペシャル』について、「色んなことに自分が我慢してやっているっていう風に思われているみたいで、そういう訳じゃないんだけど。元からお酒飲まないから、それに鶏鍋食べるのも好きだから食べているだけで。(中略)そんなに張り詰めた感じじゃないし、もっと楽しくやってますよ」「あの『Nスペ』の影響は大きくて、たまにお店でビールを頼もうものなら『えっ?』って言われちゃうので困ってるんですけど(笑)」と語っている。ギターやブルース・ハープのほか、ピアノやパーカッション、マラカス、マンドリン、タンバリンなども演奏する。ブルースハープは、ライブやMC時のパフォーマンスで頻繁に使用し、ブルースキーやベンドを駆使した演奏を行う。ギターは、ラジオでの発言によると高校時代は壊れたギターで遊んでいた程度だったが、デビューを前に社長命令で猛特訓し、ソロライブでアコースティック・ギターを演奏(稀にエレキギターも演奏)する場面が見られる。B'zのライブでも稀にアコースティック・ギターを演奏する場面がある。ソロ活動のレコーディングではギターソロを担当した事もあり、ギター演奏には比較的積極的に取り組んでいる。1995年のライブ「B'z LIVE-GYM Pleasure'95 BUZZ!!」では「ALONE」ではピアノ、1997年のライブ「B'z LIVEーGYM Pleasure'97 FIREBALL」では「風船」ではフェンダーローズで弾き語りした。少年時代から兄の影響によりザ・ビートルズ、UFO、テン・イヤーズ・アフター、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベックなどのレコードを聴いていた。また、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンも兄による影響があることを述べている。ハード・ロックやヘヴィメタル系のほかにもザ・クラッシュなどのパンク・ロックも聴いていたという。初めて観に行ったコンサートは倉敷市民会館で行われたポリスであった。憧れる声を持つアーティストとしてロッド・スチュアートを挙げたことがある。これまで雑誌のインタビューなどで稲葉が選んだアルバムには、『ジギー・スターダスト』(デヴィッド・ボウイ)、『タンゴ・ゼロ・アワー』(アストル・ピアソラ)、『土曜日の夜』(トム・ウェイツ)、『伝説のライヴ』(レッド・ツェッペリン)、『アビイ・ロード』(ザ・ビートルズ)、『ロックス』(エアロスミス)、『永遠の詩 (狂熱のライヴ)』(レッド・ツェッペリン)、『シアー・ハート・アタック』(クイーン)、『ワイアード』(ジェフ・ベック)、『鋼鉄の処女』(アイアン・メイデン)などがある。※以下はソロ作品の記述。B'zとしての作品はB'zの作品を参照。※「1st」「2nd」などの表記は、B'zのファンクラブ会報誌『Be with!』に掲載されている「DISCOGRAPHY」によるもの。!発売日!タイトル!収録アルバム

出典:wikipedia

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