張 孝栘(ちょう こうい)は中華民国の司法官・法学者。字は棣生。別号は逖省。日本に留学し、早稲田大学法科を卒業した。帰国後は京師法政学堂及び京師法律学堂の教習(教官)となる。以後、修訂法律館纂修、憲法編査館科員、北京政府大理院推事を歴任した。1915年(民国4年)、総検察庁首席検察官に任命される。1928年(民国17年)4月、総検察庁検察長暫定代理となった。その後、国立北平大学法学院教授、国立北京大学法律系講師、河北省立法商学院法律系教授を歴任している。1940年(民国29年)5月、汪兆銘政権(南京国民政府)の最高法院華北分院が新設され、張孝栘が華北分院院長に任命された。以後、1945年(民国34年)8月の汪兆銘政権崩壊までその地位にあった。その後の消息は不明である。
出典:wikipedia
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