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シャープス銃

シャープス銃とは、1848年、クリスティアン・シャープスの設計に端を発する一群の大口径単発形式の小銃である。シャープス銃は長射程および正確性により歴史的な名声を得ている。1874年、この小銃は幾種類かの口径を持つに至り、数カ国の陸軍がこの銃を採用した。またこの銃は金属薬莢の使用への移行に成功した設計の一つである。現代のシャープス銃の再生産は少数の小銃製造社で行われており、またこの小銃はいくつかの西部劇の映画に登場することから、古い西部時代のアイコンとなっている。シャープスの最初の小銃は1848年9月12日にパテントを得た。生産はペンシルバニア州ミル・クリークのA・S・ニップスで行われた。第2のモデルはメイナード・テープ式雷管を使用しており、残存小銃には「エドワード・メイナード 特許権保有者 1845」のマークがつけられている。1850年、この第2モデルはバーモント州ウィンザーに在ったロビンス&ローレンス(R&L)社にもたらされ、ここで量産のためにモデル1851が開発された。R&L社のローリン・ホワイトは、「ボックス・ロック」型のモデル1851用としてナイフエッジ型の閉鎖装置とセルフコッキング装置を考案した。これは「初期仕様」と呼ばれ、5,000挺のモデル1851カービンが該当し、うち約1,650挺はウィンザーのR&L社による生産である。1851年、「第2仕様」の15,000挺の小銃が作られ、またシャープス・ライフル・マニュファクチャリング・カンパニーが資本1,000ドルの株式会社として組織された。ジョン・C・パルマーが社長、クリスティアン・シャープスが設計担当、またリチャード・S・ローレンスは製造部門の長と生産の監督を兼任した。シャープスには銃1挺につき1%の特許権使用料が支払われることとなり、コネチカット州のハートフォードにあるR&L社の所有地に工場が建てられた。モデル1851はモデル1853の生産によって代替された。1856年10月まで、全てのシャープス銃がウィンザーで生産されている。クリスティアン・シャープスは1853年に退社した。リチャード・S・ローレンスは1872年まで製造の主任を務め続け、シャープス銃の派生型を開発した。また、こうした改良はこれらの小銃を有名なものにした。1874年式のシャープス銃は特に人気のあった小銃で、矢継ぎ早にいくつもの派生型が世に出るに至った。この銃は多様な装薬量と口径長が取り扱え、また多くの.40口径から.50口径の弾薬が使えた。はを設計した。この最後の小銃は1881年にシャープス・ライフル社が閉鎖される前まで生産された。を使うシャープスM1859、M1863小銃・カービン銃、また金属製薬莢を使う1874シャープス小銃とシャープス・ボーチャード モデル1878は現代でも再生産されている。これらの銃は南北戦争の再演の際に使われ、また狩猟や競技射撃にも使われる。軍用シャープス銃、またはベルダン・シャープス小銃としても知られるタイプはを採用した小銃で、アメリカ南北戦争の期間中とその後にも使用されていた。標準的な雷管を使うことも可能だったものの、シャープス銃はかなり風変わりなペレット状雷管の装填方法を採用していた。これは多量のペレット状雷管を保持しておき、トリガーが引かれて撃鉄が落ちる度に、1個ずつ突起を越えて供給するという装置だった。馬上からシャープス銃を撃つ時、個々に雷管を詰める銃を使うより、射撃がより簡易になった。シャープス銃はコネチカット州ハートフォードに在ったシャープス・ライフル・マニュファクチャリング・カンパニーによって製造された。南北戦争時、本銃はアメリカ陸軍の狙撃兵に用いられた。良く知られているのはハイラム・ベルダンを指揮官とした「第2合衆国義勇狙撃兵連隊」である。シャープス銃は、他の一般的に流通していた前装式よりも卓越した正確性を持ち、これらに優る狙撃兵のための装備となった。これは主に、薬室閉鎖機構がもたらす高い発射速度と製造の質の優越による。しかし当時にあっては、この兵器が兵員の弾薬を浪費するという理由から、多くの士官達は後装式の兵器を信用していなかった。加えてシャープス銃は製造費用が高く、前装式のの3倍ほどの値段となり、このため11,000挺のモデル1859のみが量産された。大部分は配備されないか狙撃手のみに交付された。ただし、時代遅れのライフル連隊の呼称を未だに冠していた第13ペンシルバニア予備役隊は、1864年に除隊処置となるまでこの銃を装備していた。本銃のカービン版は北軍・南軍両方の騎兵にとって非常に一般的なもので、正規の全長を持つ小銃よりもはるかに多数が交付された。フォーリングブロック作動方式は1860年代後半に新しく開発された金属薬莢への換装に向いており、こうした.50-70ガバメント弾を使用する改装済みのカービンの多くは、南北戦争の直後に数十年続いたインディアン戦争へ投入された。南北戦争中に作られた少数のカービンには、銃床にコーヒーミルが付属するという変わった特徴があった。シャープス小銃と異なり、カービンの方は非常に人気があり、ほぼ90,000挺が生産された。1863年の北軍騎兵連隊では、本銃が最も一般的な兵器として装備されたものの、1864年には多くが7連発スペンサー銃に代替された。数少ないシャープス銃の模造品が南軍によりリッチモンドで生産された。品質は一般的に低く、こうした銃は普通、鉄の代わりに真鍮の部品を用いた。1840年代後半から1880年代後半まで、シャープス銃には競技用バージョンが作られていた。アメリカ南北戦争ののち、陸軍が払い下げた改修済みの小銃がカスタムメイドの火器となり、シャープス銃の工場では、バッファロー狩りを営む猟師や辺境の住民のためにモデル1869および1874を相当数生産した。こうした大口径小銃は、黒色火薬を用いる最も威力の高い弾薬と一緒に生産されていた。シャープス銃はまた、特に長射程の目標を狙うバージョンが作られていた。これは当時流行していた、1,000ヤード(910m)離れた目標を射撃するクリードモア・スタイルのためのものだった。近代的な黒色火薬弾薬を使う標的射撃手の多くは、オリジナルのシャープス銃やレプリカ品を用い、500mまでの距離に、動物の形に切り抜いた金属製シルエットを置いて標的とする。シャイロー・ライフル・マニュファクチャリング・カンパニーやモンタナ州のビッグ・ティンバーにあるC・シャープス・アームズでは、おのおの1983年および1979年からシャープス銃の再生産を行っていた。シャープス銃の迫力を示すいくつかの映画には『』(1974年)、『』(1975年)、『』(1971年)、『』(1990年)、また『トゥルー・グリット』(2010年)がある。1990年の西部劇、『ブラッディ・ガン』でトム・セレックの演じた人物はシャープス銃を使っているが、この銃は標準的な小銃が30口径長の銃身であるのと比較し、34口径長の銃身を持っている。『追撃のバラード』の中では、バート・ランカスター演じるボブ・バルデスが、フランク・タナーという登場人物の部下達に対し、シャープス銃を1,200ヤードの距離で撃っている。映画『ブラッディ・ガン(原題『キグリー・ダウン・アンダー』)』が人気を博した結果、モンタナ州フォーサイスで毎年開かれるシャープス銃の競技は「キグリー・マッチ」として知られている。映画のシーンを想起させるよう、各射手のために、44インチ大の目標が1,000ヤードの距離に置かれる。デヴィッド・ペデルソリやシャイロー・ライフル・マニュファクチャリング・カンパニーのような銃器製作会社では、こうした映画は小銃の需要を増やすと信じている。シアター・クラフツ・インダストリー誌では、「我々が1990年に行った『ブラッディ・ガン』の劇中で、トム・セレックとシャープス銃は実質的に共演していた。」とまで語った。この意見は『Guns』誌のジョン・タフィンや、『Field & Stream』誌のライオネル・アットウィルのような銃器の著述家によって繰り返された。テレビ放送では、アメリカ合衆国のクライム・ドラマ『Longmire』(2012年)の「パイロット」というエピソードの中で、殺人の捜査にあたりシャープス銃が中心的な役割を演じている。シャープス銃は殺人の凶器に用いられ、その射撃動作が粗筋の中核になっている。

出典:wikipedia

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