増田 友也(ますだ ともや、1914年 - 1981年)は、日本の建築家。建築研究者。元京都大学工学部教授。増田友也は、難解な哲学的思考に基づく建築論が有名である。市川秀和博士によれば増田の研究・思索は3期に分類できるとされている。前期思索として空間論が思索されている。1950年〜1964年の前期思索でまたこの期間も大きく前半期、後半期に分けられると見られる。前半期は「空間形成」の原初追求、後半期は、注目が高まった日本建築の伝統的な空間構成を「西欧的思考」で捉え直そうと試みたものであった。前期は博士論『建築的空間の原始的構造 Arunta の儀場とTodas の建築との建築学的研究』(1955年)にまとめられ、後期は「家と庭との空間構成についての覚書」(1958年)、次いで『家と庭の風景‐日本住宅の空間論的考察‐』)(1964年)にまとめられた。中期思索として風景論が思索されている。風景論とは建築することが破壊を孕む両義性を超えて、環境・風景のために建築家の持つべき道義性morality の必要性を説き、「本来的に人の住みつくその場所 ethnos」を規定し、それは建築が出来た時ではなく、人が住まうことで建築されゆくことを示唆した。そして存在論は晩年となる「後期思索」として分類される。これはマルティン・ハイデッガーの哲学思想を下敷きに建築とは何かを問い、『建築以前(退官講義)』(1978年)や『建築について』(1978年)にまとめられるが、体系化に行き着く前に歩みを終えた感があり、市川秀和博士は、その「思索の道 Lebenund Denkweg」こそが増田の独自性であると説いた。『増田友也先生退官記念 著作・作品目録』によると、増田友也の建築作品は84作で、内訳は実施作61作、計画案23作であるという。長岡大樹が増田の言論に基づき、3つの設計態態度(作風)の抽出を行っている。1967年8月に建築と絵との体質的な差異について<建築は絵画や彫刻のように何ものかを再現しようとしていません それは林檎とか風景とか人体とかはもちろんのこと 樹の青 海の蒼をも再現しようとはしていません それは理想的に白一色の大理石でも作るのが本来の建築なのです 線と面と光と翳 それだけが建築の単語なのです 建築と言う考えが成立した当初はまさにこの通りだったのです>。文脈から察するに、増田自らの設計思想を論じた文章とは異なるため、ここから設計態度(作風)を導き出すことが適切であるかは、議論の余地があり、それでいていくらか恣意的な印象を感じなくもないが、「A:建築は何ものかを再現するものではない。B:一種類の材料(色彩)で作ることが本来の建築である。C:建築の単語は「線と面と光と翳」だけである」とまとめており、これを (1)建築が矩形を基調とし、過度な形態操作をしない(A) (2)コンクリート打放し仕上げが大部分を占める(B/58 作が鉄筋コンクリート造で、うち50 作品が打放し仕上げ) (3)陰影を線・面の構成で建築を表現する と整理する。とりわけ建築意匠面での特徴として、長岡大樹は (3)陰影を線・面の構成で建築を表現する に注目しており、壁の造形表現の移り変わりを見ることで増田の作風を捉えることができるとして、論文発表されているのが「増田友也の建築と壁の造形」(2011年)である。この研究論文では、「庇・屋根・壁」の有無と組み合わせと造形的特徴から、次のように8種類の「壁面の構成手法」として整理を行っている。この8種類の「壁面の構成手法」に加えて、手すりなど「壁の付加要素」、壁面の凹凸となる「外壁面の断面形状」、ガラス・壁・手すりなどの前後関係である「壁面要素の前後関係」を検討材料に、増田友也の建築作品における壁の造形を7つのパターンと4期に区分・整理を行っている。
出典:wikipedia
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