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小出吉親

小出 吉親(こいで よしちか、天正18年(1590年) - 寛文8年3月11日(1668年4月22日))は、江戸時代前期の大名。但馬国出石藩3代藩主、のち丹波国園部藩初代藩主。吉親系小出氏初代。天正18年 (1590年)、小出吉政の次男として大坂で生まれた。母は伊東治明の娘。慶長3年(1598年)、太閤豊臣秀吉の命により従五位下加賀守に叙任された。慶長8年(1603年)、信濃守に改められ、江戸に至って徳川家康に拝謁。慶長10年(1605年)、徳川秀忠の上洛に随従し、4月26日の参内に供奉した。慶長15年(1610年)、上野国甘楽郡に2,000石の知行を与えられた。慶長18年(1613年)に父吉政が没すると、兄吉英が家督を継いで和泉国岸和田藩の遺領に移ったため、吉親は兄の出石城と父の所領の一部を継承し、但馬国出石郡、気多郡、美含郡、養父郡から、2万7,700石を領することとなり、併せて2万9,700石(約3万石)の大名となった。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、兄と共に天王寺口の攻撃に参加した。大坂夏の陣の際には落城時に大鍬兼保(薄田兼相の弟)や大野一族らの三百余を討ち取った。また兄と同じく堺浦の警備にあたり、落ち武者狩りを行った。両役で吉親は67の首級を上げた。元和5年(1619年)に兄が出石に再封されて戻って来ることになったため、吉親は新たに丹波国園部に移封され、丹波国船井郡、桑田郡、何鹿郡、上野国甘楽郡の4郡で併せて2万8,000石を領し、園部藩を立藩した。そして同地に園部城を築城した。元和7年(1621年)、有馬豊氏の移封に伴い、一時的に福知山城に入ってこれを守った。寛永元年(1624年)の大坂城普請に参加。寛永3年(1626年)、徳川家光の上洛に従い、後水尾天皇の二条城に行幸の際に供奉に列した。この時、対馬守に改めた。寛永19年(1642年)、上方の郡奉行となり、伊勢守に改める。寛文2年(1662年)、養子の吉直 に3千石を分知する。寛文7年(1667年)、家督を長男の英知に譲って隠居し、所領より養老料として5千石をあてられる。寛文8年(1668年)、園部にて死去した。享年79。下谷広徳寺に葬られた。法名は福源院松渓玄秀。

出典:wikipedia

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