有村町(ありむらちょう Arimura-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧北大隅郡桜島郷有村及び脇村、鹿児島郡東桜島村大字有村及び大字脇の全域。郵便番号は891-1545。人口は16人、世帯数は12世帯(2015年3月末現在)。有村町という町名は、平家の一族がこの地に流れ着いて住み着いたことを発見した武士がこの地に村が有ることを知ったということから有村と名付けたという説と、江戸時代よりこの地は温泉が湧くため別荘地となっており、江戸時代の役所である仮屋が置かれ有名な地であったことから名づけられたという説がある。桜島の南部に位置する。町域の北方から東方にかけては黒神町、西方には古里町及び東桜島町に接しており、南方は鹿児島湾に面している。町域のほぼ半分は1914年(大正3年)に発生した大正大噴火の溶岩流が固化して形成された大正溶岩及び昭和期に流出し固化した昭和溶岩に覆われている。町域の南端を国道224号が東西に通っており、町域の中央部に有村溶岩展望所がある。有村という地名は室町期より見えたが、脇という地名はまだ見えず江戸時代より見える。室町期は大隅国向島のうちであった。江戸期には大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであった。有村は「天保郷帳」では66石余、「旧高旧領」では31石余、脇は「天保郷帳」では155石余、「旧高旧領」」では34石余であった。安永大噴火では地内の上燃ノ頭より黒煙が上がり、大噴出は5日に及び島内の田畑を全滅させるなど甚大な被害を受けた。1887年(明治20年)に有村及び脇村は大隅郡から北大隅郡に所属が変更となった。1889年(明治22年)には町村制が施行されたのに伴い、それまでの藩政村である有村及び脇村はそれぞれ東桜島村の大字「有村」及び「脇」となった。1914年(大正3年)に発生した大正大噴火では、噴火の前兆として字域内の有村温泉の源泉が沸騰する現象が確認されている。その後の溶岩流により、脇は集落のほぼ全域が埋没し、有村は有村温泉など集落の大半が埋没した。1946年(昭和21年)に南岳の東側山腹で発生した噴火では、溶岩流によって有村集落の半分が埋没した。1950年(昭和25年)に東桜島村が鹿児島市に編入され、大字有村と大字脇を統合し、鹿児島市の町名「有村町」となった。1984年(昭和59年)7月21日の桜島の噴火によって噴出した人身大の噴石が有村町内の13件の住宅に直撃する被害が発生し、有村町の22世帯51人が1987年(昭和62年)3月には鹿児島市内の星ヶ峯などに集団移転した。尚、1984年(昭和59年)に有村町で観測された年間降灰量は1平方メートル当たり59キログラムであった。市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。