オムリは、北イスラエル王国第6代の王で、オムリ王朝の創始者である。旧約聖書以外の文献に登場する最初のヘブライ人の王でもある。オムリはヘブライ語で「主の礼拝者」という意味である。オムリは北イスラエル王国の王バシャの子エラの将軍であった。この時、軍隊はギベトンに対して陣を布いており、ペリシテと北イスラエルの間に戦いがあった。オムリは北イスラエル王国の軍隊を率いて、ギベトンから攻め上り、ティルツァを包囲した。エラが謀反で謀殺された時に、その陣営で王と宣言された。オムリが北イスラエル王国を全面的に服従させるには時間がかかった。民の半分は、ギテナの子ティブニを王にしようとしていたからである。約4年間の内乱の後にオムリが勝利した。そしてティルツァで6年間、北イスラエル王国の王として統治した。更にサマリヤに遷都して6年間統治した。以後、サマリヤが北イスラエル王国の首都になった。このサマリヤ遷都は、ダビデのエルサレム遷都に匹敵する功績であった。オムリはフェニキアとも交易があった。しかし、偶像礼拝で主の前に罪を犯して、それは息子のアハブと妻のイゼベルに引き継がれる。前述の通り、息子にアハブがおり、孫にアハズヤ、ヨラム、アタルヤがいるが、孫2人は子を残さなかった。アタルヤはヨラムの妻となり、ユダ王国の王アハズヤ(オムリから見て曾孫)の母となった。なお、アタルヤは子アハズヤの死後、ユダ王族の殆どを殺害し、王国の王位を簒奪して、7年間女王として君臨したが、エホヤダ(妻はアハズヤの姉妹であるエホシェバであり、アハズヤの義兄弟)が自身の義理の甥であるユダ王国の王ヨアシュ(アハズヤの息子でアタルヤの孫、オムリから見て玄孫)を擁立し、それに抵抗した事で殺害された。ユダ王国の王ヨアシュの子であるアマツヤは来孫、ウジヤは昆孫、ヨタムは仍孫、アハズは雲孫に当たる。以降のユダ王国の王も、オムリの血を引いている。
出典:wikipedia
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