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源氏物語評釈

『源氏物語評釈』(げんじものがたりひょうしゃく)は、『源氏物語』の注釈書である。江戸時代に萩原広道の著したものや、昭和時代に玉上琢弥が著したものなどがある。本記事では主に前者について述べる。『源氏物語評釈』は、1854年(嘉永7年)から1861年(文久元年)にかけてという幕末期に刊行された『源氏物語』の注釈書である。この後明治時代に入ると、文学研究の分野でも西洋の学問が導入され、『源氏物語』についての研究も大きな変化を起こすため、そのような影響を受けていない本書は古注釈の最後に位置する。古注釈の集大成に位置づけられる注釈書であり、「古注釈の最高峰」などと評されることもある。著者は歌人・翻訳家・作家・国学者である萩原広道(文化12年(1815年)2月19日 - 文久3年(1863年)12月3日)。書名『源氏物語評釈』に含まれる「評釈」の文言にあるように、それまでの「釈」=「注釈」だけでなく「評」=「批評」を重んじていることを大きな特色としている。本書には刊記の異なる数種類の刊本が確認されている。「夕顔」巻末には1853年(嘉永6年)との記述があり、このころまでにこのあたりの部分まで書きためられていたと見られる。総論の序文によれば、1854年(嘉永7年)正月3日に萩原の持病(当時としては命に関わる可能性もある病気であった脚気)が悪化したため、それまで書きためていた分を出版したとされる。それから6年後の1861年(文久元年)9月に、萩原によって本書の補違にあたる『源氏物語余釈』全2巻が刊行されたため、現在では通常この『余釈』を含めた14巻全体を『源氏物語評釈』としている。ただし、その部分がどの時点で出版されたのかについては、部分的に不明なところがある。本書出版にかかわる荻原自身をはじめとする関係者の手紙がいくつか残っており、それによると本書の出版までには様々な紆余曲折が存在したことが推測出来る。なお、「葵」巻以後残りの分は公にされないまま萩原が死去したため、未完である。本書は以下の計14巻からなる。基本的に本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』に代表されるような、当時の一般的な国学者による注釈書にならったものである。『源氏物語』の本文全文を備えた注釈書であり、予備知識のない一般人でも分かる注釈を意図していると見られる。基本的には宣長の「もののあはれ」論に賛成しながらも、一部に宣長が否定した安藤為章の『紫家七論』の諷喩説にも評価をあずかるようなことも行っている。『源氏物語』の文章の「法則」として、「主客」・「正副」・「正対」・「反対」・「照対・照応」・「伏案・伏線」・「種子」・「報応」・「風諭」・「咏(文咏・語咏)」・「間隔」・「抑揚」・「緩急」・「反復」・「省略」・「余波」・「首尾」・「類例」・「用意」・「草子地」・「余光・余情」を挙げて、『源氏物語』の表現構造を読み解こうとしている、本書を「古注釈の最高峰」と評した玉上琢弥は、1960年代に自身が著した『源氏物語』全文の校本・現代語訳・注釈・索引を含む著作を「源氏物語評釈」と名付けている。全12巻および別巻2巻が角川書店から刊行されている。その他、阿部秋生にも「源氏物語評釈」と名付けられた著作が存在する。

出典:wikipedia

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