ダイハツ工業株式会社(ダイハツこうぎょう、英語:Daihatsu Motor Co., Ltd.)は、日本の自動車メーカーである。本社は大阪府池田市。トヨタ自動車の完全子会社でトヨタグループ16社のうちのひとつ。現在のコーポレーションスローガンは「Innovation For Tomorrow」および「もっと軽にできること」。日本で最も歴史の長い量産車メーカーで、大阪高等工業学校(後の大阪帝国大学工学部、現大阪大学工学部の前身)の研究者を中心に、1907年に「発動機製造株式会社」として創立された。その当初は工場等の定置動力用として用いられるガス燃料の内燃機関(ガス発動機)の製造を手がけていた。ブランド名・社名は、創業後、社名に「発動機」を冠する後発メーカーがいくつも出現し、既に出回っている「発動機製造」の発動機をどこで造った発動機か認識するため顧客の方で「大阪の発動機」と区別呼びし、やがて詰めて「大発(だいはつ)」と略称したことに由来する。前述のように現在はトヨタグループに所属し、会長に前トヨタ自動車副社長の白水宏典が就任するなどしている。なお、トヨタとはグループ参入以前の1967年から業務提携を行っており、OEM供受給やトヨタからの受託生産などを行なっている。トヨタからの受託により小型車や商用車、及びそれらに搭載されるエンジンの実開発もダイハツが多く担当している。親会社でありトヨタグループの中核企業であるトヨタ自動車は三井グループに属しているが、ダイハツ工業は三和グループに属し三水会・みどり会に加盟している。1930年に自社製小型ガソリンエンジンを搭載したオート三輪「ダイハツ号」の製造で自動車業界に参入。1960年代までオート三輪業界でマツダとともに市場を二分、以降は小型四輪車、軽自動車の生産にシフトしている。特に主力製品の軽自動車では、トップメーカーであるスズキとの激しいシェア争いを展開している。2006年はスズキが軽自動車減産(普通車増産)の戦略をとり、2007年からその方向性を明確にした。このことが功を奏し、社団法人全国軽自動車協会連合会の発表した、2006年度(2006年4月から2007年3月までの一年間)軽四輪車新車販売台数速報によれば、総台数で61万6,206台を記録し、スズキの60万5,486台を上回り、軽自動車の販売台数で首位に踊り出た。その後、2007年以降は年度・暦年ベースともに首位の座を守り続けていたが、2014年は同社団法人の発表した2014年の軽四輪車新車販売台数速報によると、軽貨物車(商用車)では16万417台とスズキ(15万3377台)を上回ったが、軽乗用車ではタントシリーズが登録車を含めたすべての乗用車における2014年暦年の新車販売台数がNo.1になったものの、タント以外にヒット車種に恵まれなかった(年10万台以上の売り上げがあったのは、タントシリーズの他にミラシリーズとムーヴシリーズのみで、他の車種がベスト15に入らなかった)ことや、スズキ以外の同業他社が軽自動車に力を入れる攻勢が影響し、54万5871台と2013年比5.6%増にとどまり、2013年比15.9%増となったスズキ(55万5706台)に9835台及ばなかった。その結果、総台数が70万6288台と、スズキ(70万9083台)に2795台及ばず、暦年ベースでの連続No.1年数は2013年までの7年連続でストップとなった。オート三輪の時代はエンブレムに「大阪城」のイラストを模したものを使用していた。またこれとは別で、店舗看板や、テレビ番組協賛の提供クレジット用に「ダイハツ」に楕円形の囲みをしたロゴもあった。現在の「D」を模したマークは1966年に登場し、数回の修正を経ながら現在まで使用され続けている。1998年まで車台にエンブレムが搭載されることは少なかったが、同年2月のロゴリニューアルに伴い多用されるようになった。ダイハツのカスタマイズブランドとしてD-SPORTが存在する(SPKという会社の1部門でダイハツ工業と直接の資本関係はないが、東京オートサロンにダイハツ工業が出展する際は毎年ダイハツ工業のブースで車両・商品展示を行うなど深い関係を持つブランド。全ダイハツディーラーでも唯一、商品の取り扱いがある)。かつては、シャレードでのサファリラリー参戦や、ミラやストーリアでの国内ラリー、ダートトライアルへの参戦、また近年ではブーンでWRC(ラリージャパン)にスポット参戦するなど、国内外のモータースポーツに積極的に参戦してきたが、2009年1月13日、「昨今の自動車業界を取り巻く経済状況の厳しい状況」および「(年を追うごとに)深刻化する若者の車離れ」などを理由に、モータースポーツ活動の休止と、関連会社DCCSが主催するジムカーナ競技会ダイハツチャレンジカップの終了を発表した。1965年から電気自動車の開発を始め、1966年にコンパーノバンをベースとした試作車を発表。1968年にはハイゼットEVの販売を開始、以後電動ゴルフカートやDBC-1、ハロー、ラガーEVなどさまざまな車種を発表、販売している。公道走行可能なEVで2000台近く、遊園地などの構内専用車種を含めると8000台を超える販売実績がある。2012年にはハイゼットEVの実証実験車が発表されている。その機械加工能力の水準を買われ、1920年代以来、国鉄(当初は鉄道省)との関わりも深く、鉄道向け機器としては蒸気機関車用の給水加熱器や自動給炭機(国鉄・汽車製造との共同開発)、客車室内の引き戸用ドアチェック、通勤電車の自動ドア向けドアエンジンなどを製造した。このため、鉄道用空気ブレーキ装置の大手メーカーである日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)の設立にも関わっている。ディーゼルエンジン開発にも早くから取り組み、車載向けの小型高速ディーゼル機関だけでなく、船舶用の低速大型ディーゼル機関も生産した。太平洋戦争後の1950年代以降は、国鉄のディーゼル機関車・気動車向けディーゼル機関生産に、先発の新潟鐵工所・神鋼造機と共に携わった。また自動車用の分野でも、1960年代初頭に小型トラック用としてはクラス初のディーゼルエンジン採用で先鞭を付け、後にはシャレードで当時世界最小排気量の乗用ディーゼルエンジンを開発したりするなど、小型ディーゼルエンジン技術でも実績を残している。なお、中~大型船舶用ディーゼルエンジンは1966年(昭和41年)に分社された系列の「ダイハツディーゼル」に移管して製造されている。オート三輪業界でもいち早く、太平洋戦争直後の1940年代末期から大量生産システムの本格導入に取り組むと共に、日本全国へのディーラー網整備を早期に完了し、小型商用車市場に地歩を築いた存在である。自動車業界では、テレビコマーシャルの活用の先駆的存在でもあった。1957年に発売した軽オート三輪「ミゼット」は、小型軽便な実用性と廉価さを武器に「街のヘリコプター」のキャッチフレーズで売り出されたが、相前後してダイハツは、大阪で製作され1958年から放送されて高い視聴率を誇った喜劇テレビドラマ『やりくりアパート』のスポンサーとなり、ミゼットの売り込みをかけた。番組の最後には主演のコメディアン大村崑、佐々十郎らが実車のミゼットを横に、コミカルなギャグ混じりに「ミゼット!」と車名を連呼するインパクトたっぷりの生コマーシャルが放送され、ミゼットはこのCM効果も手伝って当時の大ヒット作となっている。地元であるJR新大阪駅の在来線コンコース、及び和歌山駅には常設のダイハツ車の展示スペースがあり、新型モデルが時折入れ替わりをしながら1台展示されている(ちなみに、マツダも地元広島県のJR広島駅のコンコースに常設の展示スペースがある)。(親会社の)トヨタと同様、テレビCMには多くの芸能人が出演する傾向がある。インドネシアではアストラ・インターナショナルとの合弁で「アストラ・ダイハツ・モーター」 (ADM) を設立。ダイハツ車の販売と、ジャカルタ・スンター工場にてダイハツおよびトヨタブランド車の製造を行っている。スンター工場は2010年度には生産能力を年30万台に引き上げている。マレーシアでは1993年に現地資本との合弁でマレーシア第二のメーカープロドゥアを設立。2006年には第一のマレーシアの自動車メーカープロトンを抜いてマレーシア市場最大手に踊り出ている。一方、その他の地域においては販売不振による撤退が目立つ。1989年には当時小型車市場が拡張の傾向にあったアメリカ市場への参入を試みたが、親会社のトヨタの知名度が強すぎたせいか米国内でのダイハツの知名度が低く、ディーラー網の整備にてこずったことなどから売れ行きが伸びなかったため、1992年をもって撤退した。また、2006年3月には韓国車との競合などでやはり不振を極めていたオーストラリア市場からの撤退を、2007年11月にはベトナムの現地合弁会社ベトインド・ダイハツ(ビンダコ)の清算および同国市場からの撤退を発表している。さらに2011年1月にはヨーロッパ市場からの撤退も発表した。中華人民共和国ではこれまでシャレードやテリオスなどダイハツの車種が現地生産されていたものの、ダイハツブランドでの販売は行われていなかった。2007年、第一汽車子会社の一汽吉林汽車との合弁でセニアの生産・販売を行いダイハツブランドの展開を開始したが、知名度不足から販売が低迷したため2009年には早くも展開を断念し、同年中に一汽ブランドへ変更することを発表した。しかしながら、双方のメンツを重んじ、対外的には「技術援助契約の枠組の変更」という表現が取られている。主な要因は、と考えられている。※2016年9月現在※なお、OEM供給を受けるアルティス・メビウスは共にトヨタ自動車堤工場(愛知県豊田市)で生産される。
出典:wikipedia
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