ジョナサン・ポール・アレンシビア(Jonathan Paul Arencibia, 1986年1月5日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州マイアミ出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)。右投右打。現在は、MLB・フィラデルフィア・フィリーズ傘下所属。フロリダ州マイアミでキューバ移民3世として生まれる。かつてアレックス・ロドリゲスを輩出したでは、ロドリゲスに並ぶ同校史上最多の通算17本塁打を記録したほか、バスケットボール、アメリカンフットボールでも活躍。2004年のMLBドラフトでシアトル・マリナーズから14巡目指名を受けたが、入団せずにテネシー大学へ進学した。のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから1巡目(全体21位)で指名され、132万7000ドルの契約金で入団。1年目は傘下のA-級オーバーン・ダブルデイズで63試合に出場した。はA+級ダニーデン・ブルージェイズからスタートし、シーズン途中にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ昇格。2つのクラスで計126試合に出場し、マット・ウィータースと並んでマイナーの捕手最多の27本塁打を放った。シーズン後に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングでは、アレンシビアはブルージェイズ傘下でトラビス・スナイダーに次ぐ評価を受け、MLB全体でも43位の評価を受けた。はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎えたが、ここでアレンシビアは野球人生初の挫折を経験。重度の乱視に悩まされ、21本塁打・75打点とパワーの面では一定の数字を残しつつも、打率、出塁率はそれぞれ.236、.284と大きく低迷した。シーズン終了後に乱視矯正のためのレーシック手術を受けた。。5月末までは8本塁打だったが、6月、7月と2ヶ月連続で二桁本塁打を放つなど95試合で打率.303・31本塁打・79打点と活躍。8月5日にジョン・バックの故障者リスト入りに伴い、メジャーに昇格した。8月7日のタンパベイ・レイズ戦でメジャー初出場。ジェームズ・シールズからメジャー初打席初本塁打を放つなど、5打数4安打2本塁打の鮮烈デビューを飾った。デビュー戦での2本塁打は史上5人目。また、デビュー戦で2本塁打と4安打以上を同時にマークした1900年以降で初の選手となった。には正捕手として定着。23本塁打を放ち捕手としてのチーム本塁打記録を更新しメジャーの舞台でもそのパワーを見せ付けた。反面、打率は.219、出塁率も.282と低水準に終わった。守備面でも、両リーグワーストのパスボール数を記録するなど課題が残るシーズンとなった。は死球による骨折があって102試合の出場に終わったが、18本塁打を放って長打力を発揮した。一方、低打率、低出塁率は相変わらずで、OPSは前年をやや下回った。盗塁阻止率は前年の24%から29%にアップし、DRSも前年の-5から+3に転じるなど、守備では成長を見せた。オフにはR・A・ディッキーとの交換要員として名前が浮上したが、最終的に若手捕手のトラビス・ダーノーがメッツに移籍することになり、アレンシビアは当面の間ブルージェイズの正捕手を務めることが確実になった。2月27日に第3回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された。レギュラーシーズンでは、自己記録を更新する138試合に出場。2年ぶりに20本塁打をクリアしたが、100試合以上に出場したシーズンとしては初の打率.100台と低迷した。また、前年より36試合も出場試合数が増えたにもかかわらず、四球は前年と同じ18に留まり、打率の低さも相まって出塁率は.227という低さだった。守備面では、防御点こそ正数だったが、リーグ最多の13パスボールを喫した。12月2日にノンテンダーFAとなった。2013年12月5日にテキサス・レンジャーズと1年180万から200万ドルで契約に合意したことを報道され、12月10日に球団が正式発表した。金額は明らかにされていない。は正捕手の座をロビンソン・チリノスに奪われ、開幕後は2番手捕手として20試合に出場したが、打率.133と落ち込み、5月20日に傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ降格した。5月21日に40人枠から外れ、AAA級ラウンドロックへ降格した。7月17日に、カルロス・ペーニャがDFAとなったのに伴い、再びレンジャーズとメジャー契約を結んだ。昇格後は、一塁手を務めている。オフの10月6日にAAA級ラウンドロックへ降格した。9日にFAとなった。1月8日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結ぶが、4月9日に自由契約となった。17日にレイズとマイナー契約を結び、8月26日にメジャー契約を結び、25人枠入りした。その後は捕手としてプレーし、24試合に出場した。バッティング面では、基本的にメジャーで打率が.240を超えていなかったが、2015年は.310という高率を記録。パワー面でも、僅か22安打で6本のホームランを放ち、改めて圧倒的なパワーをアピールした。打率は高かった一方、フリースインガーぶりは変わらず、24試合で選んだ四球は1つだけだった。捕手としての守備は、23試合で守りに就き守備率.994・DRS - 3という成績を残した。また、盗塁阻止率33%は、メジャーデビュー年以来の高い値だった。11月20日にDFAとなった。23日に自由契約となった。2015年12月14日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。長打力が武器の攻撃型捕手だが、積極的に打っていく典型的なフリースインガーであるため、出塁率は高くない。
出典:wikipedia
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