LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

志位正二

志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。志位正人陸軍中将の息子として生まれる。東京府立六中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1939年9月、陸軍士官学校(52期)を卒業。同年11月、歩兵少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。1944年12月、陸軍大学校(59期)卒業し陸軍少佐に昇進。1945年4月、関東軍隷下の第3方面軍情報参謀に発令され、終戦を迎えた。終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。1948年11月、シベリアより復員。しかし帰国後の志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた。1950年6月、GHQの取調べを受ける。1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる。1953年11月、外務省アジア局調査員となるが、「二重スパイ」の活動は継続した。ユーリー・ラストヴォロフがアメリカ合衆国に亡命した後の1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた。その後、海外石油開発株式会社常務となる。1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラスDC-8型機の機内で死去した。なおこれには事件性がないと判断されている。日本共産党の志位和夫は甥にあたる。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。