レニングラード海軍基地(、略称)は、ロシア海軍バルト艦隊に所属する海軍基地。基地周辺を警戒する部隊と建造中・修理中の艦艇を統括する作戦単位でもある。クロンシュタットに本部を置く。1919年3月15日、バルト艦隊令第117号により、ペトログラード海軍()は、ペトログラード海軍基地(後にレニングラード海軍基地)に改編され、戦艦3隻、巡洋艦3隻、駆逐艦等から成る最初の支隊が創設された。同年夏、A.バフチン指揮下の潜水艦「パンテーラ」は、イギリス海軍の潜水艦L-55と駆逐艦「ビットリア」を撃沈し、最初の戦果を収めた。その後、レニングラード海軍基地は、数次の廃止・再編・創設を経た。独ソ戦勃発時、海軍教育施設・艦隊部隊局に基づき、レニングラード・オーゼル地区海上防衛司令部が編成され、ネフスキー湾とネヴァ川沿岸の対上陸防衛準備、砲兵陣地の建設、海軍歩兵部隊の編成に従事した。1941年9月、市南西部で艦砲の射程内に入ったドイツ軍に対して砲撃を行った。1941年~1944年のレニングラード包囲戦では、約10万人の水兵が戦った。艦艇部隊は、ストレリナ、ペテルゴフ、ラドガ湖、ヴイボルグ湾及びナルヴァ湾で2千回以上の出撃を行い、約20万tの貨物を運搬した。包囲戦中は、ラドガ湖が連絡路となり、ここを通して170万tの貨物が輸送され、100万人の市民が疎開した。終戦後は、大戦時にバルト海に敷設された7万基以上の機雷の掃海が重要な任務となり、1955年になって初めてトロール船による水先案内が停止された。1975年4月30日、レニングラード海軍基地に赤旗勲章が授与された。1994年、レニングラード海軍基地は、バルト艦隊に編入された。レニングラード海軍基地には、バルチースキー・ザヴォード、アドミラルチェイスカヤ・ヴェルフィ、セーヴェルナヤ・ヴェルフィ、「アルマーズ」工場等のロシア有数の造船所が集中している。
出典:wikipedia
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