近藤 忠義(こんどう ただよし、1901年11月10日 - 1976年4月30日)は、日本文学者、法政大学名誉教授。神戸市生まれ。第六高等学校をへて、1927年東京帝国大学国文科卒業。中学校、日本体育専門学校(現・日本体育大学)などの講師ののち29年智山専門学校教授、師である藤村作の娘美耶子(近藤宮子)と結婚。34年法政大学教授。歴史社会学派として左翼的論陣を張るが1944年治安維持法違反で検挙され、翌年の終戦直後に釈放され、法大教授に復帰。戦後、日本文学協会を組織し50年中央委員長となる。1966年法政大在任のまま新設の和光大学教授・人文学部文学科長を兼ねる。67年法大辞職、名誉教授。1976年和光大を退職、その直後没した。近世文学を専攻したが近代文学も論じ、小田切秀雄は弟子に当たる。(「近藤忠義教授略年譜」『和光大学人文学部紀要』1976)
出典:wikipedia
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