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癸亥丸

癸亥丸(きがいまる)は、幕末に長州藩が保有した西洋式軍艦。下関戦争でアメリカ海軍と交戦して大破したが、復旧されて長州征討に際しても幕府軍を迎え撃った。本艦の前身は、1843年にイギリスで建造された商船「ランリック」(Lanrick)である。攘夷論を唱えて軍備増強を進める長州藩が、1863年3月18日(文久3年1月29日)に御用商人の佐藤貞次郎を介して購入、購入年の干支にちなんで「癸亥丸」と改名した。取得価格は2万ドルであった。2本マストに横帆と縦帆を張った二檣ブリッグに分類される283トンの木造帆船。蒸気船とする文献もある。もともとは商船であるが、長州藩では10門の大砲(18斤砲2門・9斤砲8門)を装備させて軍艦として扱った。長州藩が攘夷決行に踏み切り下関戦争が始まると、「癸亥丸」(艦長:福原清介)は当時4隻あった長州軍艦のなかで「庚申丸」と並んで積極的に行動した。1863年6月25日(文久3年5月10日)のアメリカ商船「ペンブローク」攻撃を手始めに、7月8日(同5月23日)にはフランス艦「キャンシャン」を追跡して同艦が降ろしていたボートを鹵獲、7月11日(同5月26日)にはオランダ海軍のコルベット「メデューサ」と交戦した。「メデューサ」の反撃でマスト基部に1弾を受けたが、死傷者は無かった。しかし、7月16日(同6月1日)にアメリカ軍艦「ワイオミング」の報復攻撃を受けた際には、本艦は砲弾2発を浴びて大破させられ、僚艦2隻が撃沈される敗北を喫した。この戦闘で本艦か「庚申丸」の砲弾1発が「ワイオミング」に命中し、アメリカ兵3人戦死・4人負傷という数少ない反撃打を加えている。一方で、1発を味方の「壬戌丸」に誤って命中させてしまう不手際もあった。下関戦争後、本艦は復旧工事を受けて再就役した。第二次長州征討では幕府方を迎え撃つために出撃し、門司上陸戦支援の艦砲射撃を行った際に小倉藩砲台の反撃で損傷している。後の戊辰戦争でも、鳥羽・伏見の戦い前に長州藩兵を輸送するなどの活動を行った。

出典:wikipedia

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