矢部山城(やべやまじょう)は福岡県八女市に存在した日本の城(山城)。矢部川と御側川の合流点南西の、標高642.5mの城山山頂にあった。麓からの比高は約320mで、肥後国の菊池方面や豊後国津江方面に通じる要衝だった。東へ約1.6kmの地点に栗原城、北方約1kmにアイノツル城があった。当城の城主だった栗原伊賀守らは正平年間に護良親王に供奉してきた五条良氏を大将として招き、その執事となった。また、五条良遠が当城を築いたともいう。五条氏は南北朝時代は一貫して南朝に付き、その後は永正年間頃まで菊池氏、永正以降は大友氏の傘下に入っていた。天正15年(1587年)の九州国分で、浅野長政によって当城は破却を命じられた。城主の五条鎮定は筑紫広門の与力となり、当地を離れている。
出典:wikipedia
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