石巻県(いしのまきけん)は、1869年(明治2年)に仙台藩領の一部であった陸前国北東部を管轄するために明治政府によって設置された県。現在の宮城県北東部を管轄した。本項では前身の桃生県(ものうけん)についても記す。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を結成して盟主となった仙台藩は、恭順・開城ののち、明治政府より敗戦の責任を問われ、表高62万石から実高28万石に減封される。その際、現在の石巻市とその周辺は仙台藩から分離され、明治政府の直轄の上野高崎藩取締地となり、桃生県が設置された。しかし、わずか1ヶ月で県庁を石巻に移転して石巻県と改称。その後わずか1年1ヶ月で登米県に編入され、設置から1年2ヶ月で廃止された。なお、明治政府は石巻を東北地方を管轄する拠点とする予定で、1871年(明治4年)に東山道鎮台を石巻に設置することを決めた。廃藩置県で仙台藩が登米県と同様に国の直轄である仙台県となると、暫定的に仙台城に置かれていた鎮台の移転は中止となり、以後も国の出先機関などは仙台に置かれた。「旧高旧領取調帳」の記述が登米県への編入後のため詳細は不明。
出典:wikipedia
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