朝鮮日報(日本語読み;ちょうせんにっぽう、朝鮮語読み;チョソンイルボ)は、大韓民国の日刊新聞。東亜日報と並んで韓国で最も歴史が長い新聞社であり、尚且つ発行部数は韓国最大である。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総聯)の機関紙「朝鮮新報」とは無関係。発行部数も約230万部と韓国最大であり、調査を始めた1989年以降2009年現在まで韓国で一番の購読率である。編集性向は保守的・右翼であり、韓国の新聞の中でも強硬派に属する。金泳三政権までは政府に好意的な記事が多かったが、金大中政権成立後は政府に批判的な言論が増えた。そのため、右派保守層、既得権、財閥、民族主義派からは支持を得ているが、左派、労働組合からは批判を受けている。日本に対する姿勢としては、民族主義・保守主義の立場から反日な側面も見られるが、統治時代において朝鮮日報の創業者などは日本の植民地支配に協力的であったとして韓国の左派系の論客からは親日的であるという指摘も出ている。なお、漢字復活を主張している新聞でもある。以前は社説でのみ韓国の慣習に反して漢字を直接使いハングルでルビを振っていたが、これは2008年1月に他の記事と同様にハングルの後ろに括弧の中に漢字を入れる表記法に変更された。また、「月刊朝鮮」は1998年に漢字復活キャンペーンを展開し、「少年朝鮮」でも漢字教室を掲載している。2001年1月に韓国の新聞では初めて日本語サイトを開設し、2004年6月時点での月間訪問者数は約90万人に達した。2008年11月24日より日本語版のみweb版の公開期限が無期限から1週間となり、過去の記事の閲覧には有料会員登録が必要となった。朝鮮語、英語、中国語版は現在も無料で閲覧できる。3.1独立運動以降の朝鮮総督府が打ち出した「文治政策」に呼応して、朝鮮人の大物実業家だった趙鎭泰の主導で朝鮮人経済団体の「大正実業親睦会」が中心となり、1920年3月5日に創刊した。だが直ぐに資金面で行き詰まり宋秉畯が経営権を取得、「皇城新聞」の元編集者でジャーナリストととして長く活動してきた南宮檍を社長として招き入れ編集を任せた。ほぼ同時期に創刊された東亜日報が朝鮮人への啓蒙や実力養成に力を入れたのに対し、朝鮮日報は日本や朝鮮総督府の政策に真正面から批判する報道が目立った。創刊一ヶ月後には李王家の世子・李垠と方子女王との結婚に異を唱える記事を掲載して紙面没収の憂き目に遭い、その後も4度の停刊処分を始め当局からの圧力や弾圧をしばしば受けた。その一方でこうした論調から左右を問わず独立運動家が集まり、安昌浩や李商在が社長を務め、洪命熹・朴憲永・金丹冶など左翼人士が執筆をおこなった。またハングル普及のため、教材の無料配布も行っている。方應謨社長の時代に総督府の教育政策を批判した紙面が没収処分を受けた後、論調が当局に協力的になり、李奉昌の爆弾テロを非難したり、皇紀2600年にあたっては昭和天皇・香淳皇后の写真を1面に掲げ南次郎総督の談話を掲載した。1940年8月には総督府の言論統制の一環で廃刊となる。日本の統治が終わって1945年11月23日に復刊。方應謨社長が金九支持を打ち出したこともあり、韓国独立党系の新聞として論陣を張る。その後、1968年に「週刊朝鮮」を1980年に「月刊朝鮮」を夫々創刊。2005年3月5日には街版を廃止している。
出典:wikipedia
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