東俣町(ひがしまたちょう Higashimata-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧日置郡郡山郷東俣村、日置郡郡山村大字東俣、日置郡郡山町東俣。郵便番号は891-1102。人口は1,230人、世帯数は523世帯(2010年2月末現在)。鹿児島市北西部に位置し、川田川中流域に所在する。川田川流域に水田が多くあり、その東西の山麓や山間に集落が点在している。町域を南北に鹿児島県道211号小山田川田蒲生線が通り、東西に鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線が通っている。北方には花尾町、南方に川田町、東方に皆与志町、本名町、西方に油須木町、小山田町が接している。また、町域の中央部に東俣幼稚園、南部に東俣郵便局、一之宮神社、スパランド裸・楽・良がある。東俣という地名は南北朝期より見え、薩摩国満家院のうちであった。古くは厚地(現在の花尾町)も東俣のうちに含まれていた。江戸期には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、村高は「天保郷帳」では2,121石余、「郡山郷土史」によると明治初年には1,184石余であった。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の郡山郷の区域を以て郡山村が成立し、江戸期の東俣村は郡山村の大字「東俣」となった。1919年(大正8年)に南方校(現在の鹿児島市立南方小学校)の児童数が増加したことから、花尾小(現在の鹿児島市立花尾小学校)を分立設置する計画が浮上した際に、東俣の分立反対派住民は反対運動を起こし、もし二校分立が実施された場合には東俣の区域は郡山村より分離して当時隣接していた伊敷村に編入するべく、東俣と伊敷村の区域を結ぶ道路(現在の鹿児島県道211号小山田川田蒲生線の一部)を建設するなどし、鹿児島県に対して分村の申請を行うが認められず、翌年1920年(大正9年)には南方校より花尾尋常高等小学校が分立した。1956年(昭和31年)には郡山村が町制施行し郡山町の大字となった。その後2004年(平成16年)に郡山町が鹿児島市に編入され、鹿児島市の町名「東俣町」となった。市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである。
出典:wikipedia
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