油須木町(ゆすきちょう Yusuki-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧日置郡郡山郷油須木村、日置郡郡山村大字油須木、日置郡郡山町油須木。郵便番号は891-1104。人口は907人、世帯数は347世帯(2010年2月末現在)。鹿児島市北西部、甲突川支流油須木川流域に位置し、八重山に連なる丘陵に囲まれた小盆地に水田が広がる農業地域である。町域の北方には花尾町、南方には小山田町、東方には東俣町、西方には郡山町にそれぞれ接している。町域の中央を南北に国道328号が通っており、南方には鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線が東西に通っている。油須木という地名は鎌倉期より見え、薩摩国満家院のうちであった。鎌倉期は税所氏の支配地であったとされる。南北朝期になると守護島津家の力が強まり建武4年に比志島彦一に「満家院内 油須木四町」が与えられた。南北朝期ののちに満家院は島津家の支配下に入り、近世初頭に比志島氏が移封されるまでは比志島氏の支配に属していた。比志島氏が移封されたのちは島津氏の直轄領となった。文明17年には町域の北部にある上ノ原にて島津忠廉が寡兵をもって村田肥前守経安の軍を破った古戦場がある。江戸期には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、村高は「旧高旧領」では431石余、「郡山郷土史」では明治初年は433石余であったとされる。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の油須木村は郡山村の大字「油須木」となった。1956年(昭和31年)には郡山村が町制施行し郡山町の大字となった。2004年(平成16年)に郡山町が鹿児島市に編入され、鹿児島市の町名「油須木町」となった。市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである。
出典:wikipedia
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