南国土佐を後にして(なんごくとさをあとにして)は武政英策が作詞・作曲した歌謡曲及び、それを元にした映画。原曲は、中国大陸中部に出兵した陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で自然発生的に生まれ、歌われていた曲とされる(同部隊には高知県出身者が多かった)。後半部に土佐民謡「よさこい節」を歌いこんでいる。戦後、復員兵らによって高知県にもたらされ、古里ソングとして定着した。そして、後述のペギー葉山盤の大ヒットで全国的に知られるようになった。丘京子が1953年9月に開局したラジオ高知の番組で歌い、反響を呼んだことにより日本マーキュリーからシングル発売された。伴奏は高知サロンアンサンブル。レコードの吹き込みはラジオ高知のスタジオを借り、高知市の川村時計店(現在は閉店)の技術部が当時は貴重品だったテープレコーダーで行った。シングルのレーベルには「民謡 南国土佐を後にして」「武政栄策 補作・編曲」という表記がある。後に25cm LP盤『南国土佐の想出』の収録曲としても発売されている。1961年公開の映画『次郎長社長よさこい道中』(進藤英太郎の社長シリーズ第3弾)に丘が芸者役で出演し「南国土佐を後にして」を歌っている。1955年に鈴木三重子が吹き込みテイチクレコードからシングル発売したが、このときは話題にはならなかった。1958年11月にNHK高知放送局テレビ開始の記念番組として「歌の広場」にペギー葉山が登場し歌ったことがきっかけとなり、日本全国に知れ渡った。1959年5月にペギーの歌でキングレコードからシングル発売されると、発売からほぼ1年で約100万枚を売る大ヒットとなった。8月2日に日活で同作に封切、この映画に本人役として登場した。また、ペギーは同年の「第10回NHK紅白歌合戦」でも本楽曲を披露した。30年後の1989年の「第40回NHK紅白歌合戦」の第1部(昭和の紅白)にもペギーは本楽曲で出場した。ペギーがレコード発売してから語り継がれる曲となり、ペギー葉山は1974年に2人目となる高知県名誉県人が贈られた。ペギーが歌手生活60周年を迎えた2012年には、高知市のはりまや橋公園に本楽曲の歌碑が設置され、ペギーも除幕式に出席した。碑は午前8時半から午後8時半まで1時間おきにペギー本人の歌声が流れ、隣に建てられた鯨の親子が潮を吹く仕組みになっている。なおこの映画がヒットしたことを受けて製作されたのが、小林旭主演の「ギターを持った渡り鳥」などの「渡り鳥シリーズ」である。この曲は、山下達郎の中学時代の恩師が大学へ進学する際に、師である武政が彼のことを思って書いた曲である(「ぴあ」での山下達郎へのインタビューより)。ほか
出典:wikipedia
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