多治比氏(たじひうじ)は、「多治比」を氏の名とする氏族。宣化天皇の三世孫多治比古王を祖とする。丹治比氏・丹墀氏(たじひし)、多治氏・丹治氏(たじし)とも称した。河内国多比郡を根拠地とする。姓は公、真人。多治比古王の子嶋は697年(73歳)に臣下最高位の左大臣となるなど大臣職を長く務め、当時政界の「最長老」であった。嶋の子らからは第1子池守が大納言、ほか県守と廣成も中納言となった。しかし757年の橘奈良麻呂の乱で犢養(こうしかい)や國人といった一族が加担して処罰されたうえ、藤原種継暗殺者として濱人が処刑された事もあり、平安時代以降官界では奮わなくなった。嶋の玄孫にあたる真宗は、桓武天皇との間に桓武平氏の祖とされる葛原親王を儲けた。一方、武蔵国では丹治比氏の後裔を名乗る武士集団丹党が勢力を持つようになり、武蔵七党の一つとして力を振るった。大田原氏、大関氏、青木氏等が大名として江戸期まで存続した。※以下の系図は、多治比氏の主な人物を示したもので、記載されていない人物も多数存在する。カッコ内の数字は生没年。
出典:wikipedia
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