ゲンナジー・ゴロフキン(Gennady Golovkin、、男性、1982年4月8日 - )は、カザフスタンのプロボクサー。カラガンダ州カラガンダ出身。ロシア系の父と高麗人の母との間に生まれたロシア系カザフスタン人(高麗とは朝鮮半島に10世紀から14世紀まで存在した国家)。現WBA世界ミドル級スーパー王者。第36代WBC世界ミドル級王者。第16代IBF世界ミドル級王者。エキサイトマッチではゲンナディ・ゴロフキンと表記されている。プロアマ通じてノックダウン、ストップ負けの経験がない。シュトゥットガルトとロサンゼルス在住、妻と1人息子がいる。トレーナーはアベル・サンチェス。K2プロモーションに所属し、ゴロフキンもK2プロモーション傘下GGGプロモーションも主催している。クリンチさせないディフェンス感と絶妙な距離感に優れ、変幻自在なストレートとフックでダウンを奪えるKO率90%を超える破壊力と爆発力を持つ選手。入場曲はThe White Stripesの『Seven Nation Army』。1982年4月8日、カザフ・ソビエト社会主義共和国(現在のカザフスタン)で4人兄弟の1人として生まれる。ロシア人の父親は炭鉱夫、高麗人の母親は実験室のアシスタントをしていた。14歳の時に兄にジムへ連れられていきボクシングをはじめるリング内では圧倒的な強さを誇るが、リングの外では統括団体の総会の際、ブレーンが制止しようとするのを逆に止めて、自分の前に並んだファンや関係者すべてにサインをしたり、ゴロフキンと対戦し敗れた淵上誠は試合翌朝にホテルのラウンジで偶然出会った際に、コーヒーを御馳走してもらい、これを機にファンになったと話すなど、真面目な青年との人物評が定着している。フロイド・メイウェザー・ジュニアの試合スタイルについて、「私はフロイドのようなボクシングもできるが、それはファンにとって退屈だ。私は興奮をもたらしたい。劇的なショウをしたいんだ」や「メイウェザーのスタイルはコンピューター・ゲームのようだ。私のスタイルは喧嘩のようであり、リアルファイトのようだ。マイク・タイソンのスタイルみたいにね」と批判的な発言をしている。2002年4月、キングス・カップにライトミドル級(71kg)で出場し、決勝でスリヤー・ソー・プルンチットに敗退した。2002年10月、韓国の釜山で開催されたアジア競技大会にライトミドル級(71kg)で出場し、決勝でスリヤー・ソー・プルンチットに勝利し優勝した。2003年7月、バンコクで開催された世界ボクシング選手権大会のミドル級(75kg)に出場。1回戦でマット・コロボフ、2回戦でアンディ・リー、準々決勝でルシアン・ブーテから勝利を挙げ金メダルを獲得した。2004年8月、アテネオリンピックボクシングミドル級(75kg)に出場。準決勝でアンドレ・ディレルに勝つが、決勝でガイダルベク・ガイダルベコフに敗れ、銀メダルを獲得した。2005年11月、綿陽で開催された世界ボクシング選手権大会のミドル級(75kg)に出場。エジプトのモハメド・ハイカルに敗れ3回戦で敗退した。アマチュアの戦績は350戦345勝5敗と報道されているが、国際大会だけで少なくとも8敗していることが確認されている。ドイツのプロモーターのユニベルスム・ボックス・プロモーションと契約しプロへ転向。2006年5月6日、ドイツでプロデビューし、初回KO勝ちを収めた。2009年7月11日、WBOインターコンチネンタルミドル級王座決定戦でジョン・カルバリョと対戦し、2回KO勝ちを収め王座を獲得した。ドイツのテレビ局ZDFからテレビ契約を打ち切られたことでユニベルスム・ボックス・プロモーションの経営が傾き始める。2010年1月、ゴロフキンがユニベルスム・ボックス・プロモーションと契約を解除した。ゴロフキンは契約解除に至った理由について、同プロモーションがフェリックス・シュトルムとセバスチャン・ズビクを優先してゴロフキンは二の次だった事を上げ、両者との対戦を望んだが不可解な理由で拒否をされ、このまま所属していても先は無いと思ったと述べた。世界の各地で試合をするようになりK2プロモーションと契約する。2010年8月14日、パナマシティのにて行われたWBA世界ミドル級暫定王座決定戦でWBA世界ミドル級13位のミルトン・ヌネスと対戦し、右フック一撃でダウンを奪いレフェリーストップ。初回開始58秒でKO勝ちを収め、プロデビュー以来19連勝で暫定王座を獲得した。同年10月14日、正規王者フェリックス・シュトルムのスーパー王座認定に伴い空位となっていた正規王座に認定された。2011年12月9日、デュッセルドルフでWBA世界ミドル級14位のラジュアン・サイモン(アメリカ)と対戦し、右フックの打ち下ろしで倒しカウントアウトで試合終了。1回2分17秒KO勝ちでWBA王座3度目の防衛に成功、空位のIBO王座獲得に成功した。2012年5月12日、ウクライナキエフ州ブロヴァルィーのアイス・パレス“ターミナル”でWBA世界ミドル級8位の淵上誠(八王子中屋)と対戦し2回にダウンを奪うと、3回にもダウンを奪い最後は連打をまとめるとレフェリーが試合をストップして、3回1分17秒TKO勝ちを収め、WBA王座4度目、IBO王座初防衛に成功した。2012年9月1日、アメリカ合衆国ニューヨーク州の内ターニング・ストーン・イベント・センターでセルゲイ・ジンジラク対ジョナサン・ゴンザレスの前座でアメリカデビュー戦。WBO世界ミドル級王者ディミトリー・ピログと対戦する予定だったが、ピログの負傷によりWBA世界ミドル級3位のグジェゴシ・プロクサと対戦することになった。試合は打ち合いになったがゴロフキンが正確さで圧倒して初回に左フックでダウンを奪い、4回に右ストレートでダウンを奪い5回には左フックでプロクサをストップ。5回1分11秒TKO勝ちを収め、WBA王座5度目、IBO王座2度目の防衛に成功した。この試合はHBOデビュー戦でもあった。2013年1月19日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターでミゲル・アンヘル・ガルシア対オルランド・サリドの前座でWBA世界ミドル級15位のガブリエル・ロサドと対戦、ダウンシーンは無かったが激闘スタイルでタフなロサドをフック多用で切り裂き、血だるまにしてドクターストップレベルになったところでセコンドのタオル投入で試合が終了、7回2分46秒TKO勝ちでWBA王座6度目、IBO王座3度目の防衛に成功した。2013年3月30日、モナコモンテカルロのサル・デゼトワールで元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者でWBA世界ミドル級15位の石田順裕(グリーンツダ)と対戦、ノックアウトの経験がない石田から3回に右フック一撃で失神KOを奪い試合終了。3回2分13秒KO勝ちでWBA王座7度目、IBO王座4度目の防衛に成功した。2013年6月29日、コネチカット州のフォックスウッズ・リゾート・カジノ内にあるMGMグランド・アット・フォックスウッズでWBA世界ミドル級11位のマシュー・マックリンと対戦し、左ボディフック悶絶KOで試合終了。3回1分22秒KO勝ちでWBA王座の8度目、IBO王座の5度目の防衛に成功した。2013年11月2日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターでWBA世界ミドル級13位のカーティス・スティーブンスと対戦。2回に左フックでダウンを奪い、8回終了時にスティーブンスのトレーナーがダメージの深さを考慮しレフェリーに棄権を申し出てレフェリーが試合をストップ、8回TKO勝ちを収めWBA王座9度目、IBO王座6度目の防衛に成功した。この試合でゴロフキンは40万ドル、対戦相手のスティーブンスは29万ドルのファイトマネーを獲得した。2013年12月29日、ゴロフキンがスーパー王座認定を申請したがWBAに拒否され、ゴロフキンは正規王座に据え置かれることになった。これにより、WBA世界ミドル級3位のジャロッド・フレッチャーと正規王座決定戦を行う予定だった暫定王者マーティン・マレーは暫定王座に留まることとなり、同月21日に暫定王座決定戦を制して暫定王座を獲得していたディミトリー・チュディノフは扱いが暫定王者ではなく指名挑戦者に変更されるなど混乱が生じた。2014年2月1日、モンテカルロのサル・デゼトワールにてWBA世界ミドル級14位のオスマヌ・アダマと対戦。初回終了間際に右フックでダウンを奪うとペースを握り、5回にアダマの右ストレートを貰いふらつくが落ち着いて対応。6回には左フックでダウンを追加して7回開始早々にも左ストレートでダウンを奪い、最後は左フックをアダマの顎に当てぐらついたところでレフェリーは即座にストップをかけた。7回1分20秒KO勝ちを収めWBA王座の10度目、IBO王座の7度目の防衛に成功した。2014年4月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターで試合予定となっていたが2月18日に父親が心臓発作で死去したことで試合が中止となった。当初はアンディ・リーの挑戦を受ける予定だった。2014年5月、元WBC世界ミドル級王者フリオ・セサール・チャベス・ジュニアと2014年7月19日に対戦する交渉が進められていたが決裂してキャンセルとなった。2014年5月13日、WBAからWBA世界ミドル級2位のジャロッド・フレッチャーとの間で指名試合を行うよう通達を受けた。交渉期限は同日から30日間で、もし両者が指名試合を行うことに合意せず、対戦交渉が決裂した場合は入札を行うとのこと。2014年6月3日、ゴロフキンがフレッチャーとの指名試合では無く選択試合を行えるようにWBAに申請を提出していたが、WBAはゴロフキンからの申請を承認し、スーパー王座に認定した。これによりゴロフキンは暫くの間は指名試合を回避できることとなった。2014年7月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで元WBA・IBF世界ミドル級スーパー王者でWBA世界ミドル級3位のダニエル・ゲールと対戦し、2回に右フックでゲールからダウンを奪い、最後はゲールの右ストレートを浴びて腰砕けになるも直後にお返しの右ストレートでダウンを奪いレフェリーストップに追い込み3回2分47秒TKO勝ちを収めWBA王座11度目、IBO王座8度目の防衛に成功した。この試合の1ラウンドはタイムキーパーのミスで試合時間が4分近く行われたが、半年後の2015年1月にこのタイムキーパーは停職処分を受けた。2014年7月30日、WBAは最新ランキングを発表し、ゴロフキンをWBA世界ミドル級スーパー王者としてランクインすると共に、上述のゲール戦の勝利を評価し、2014年7月度の月間MVPに選出した。2014年10月18日、カリフォルニア州カーソンのホーム・デポ・センター・テニスコートに9,323人の観客を動員して、WBC世界ミドル級暫定王者マルコ・アントニオ・ルビオと対戦する予定だったが、前日計量でルビオがミドル級の規定体重である160ポンドを1.8ポンドオーバーの161.8ポンドを計測し(試合当日の体重はルビオが181ポンド、ゴロフキンが173ポンド)、2時間の猶予を与えられたが体力の減退を理由に再計量も拒否した為、ルビオは体重超過でWBC世界ミドル級暫定王座を剥奪され、10万ドル(約1080万円)の罰金のペナルティーが科されることとなり、ゴロフキンが勝った場合のみWBAスーパー王座とIBO王座は防衛、WBC暫定王座獲得という条件で試合は行われ、左ジャブで試合を組み立て初回終了間際の右ストレートで初回から優位に立ったゴロフキンは、2回も左フックから右アッパーへのコンビネーションで優勢に試合を運び、守勢に回ったルビオから左フックをルビオの脳天に突き刺すダウンを奪いそのままレフェリーが10カウントを数え、2回1分19秒KO勝ちを収め、WBA王座12度目、IBO王座9度目の防衛、WBC暫定王座獲得に成功した。この試合でゴロフキンは90万ドルのファイトマネーを受け取り、試合を放送したHBOの視聴者数は130万人だった。2014年11月15日、WBCは最新ランキングを発表し、上述のルビオ戦での勝利が評価され、ゴロフキンはWBCの2014年11月度の月間MVPに選出された。2015年2月21日、モンテカルロのサル・デゼトワールで元WBA世界ミドル級暫定王者でWBC世界ミドル級シルバー王者でWBC世界ミドル級1位の指名挑戦者マーティン・マレーと対戦し、4回に右ボディフックで2度、10回にクリンチに行くところに右フックをテンプルで1度の計3度のダウンを奪い最後は連打から右のロングフックで腰砕けになったところでレフェリーが粘るマレーをストップ。11回50秒TKO勝ちを収めWBA王座13度目、IBO王座10度目、WBC暫定王座初防衛に成功した。2015年3月6日、WBCは最新ランキングを発表し、上述のマレー戦での勝利が評価され、ゴロフキンはWBCの2015年3月度の月間MVPに選出された。2015年3月18日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のマレー戦での勝利が評価され、ゴロフキンはWBAの2015年2月度の月間MVPに選出された。2015年5月16日、カリフォルニア州イングルウッドのザ・フォーラムでWBA世界ミドル級2位でNABF・NABO北米ミドル級王者の指名挑戦者ウィリー・モンロー・ジュニアと対戦し、フライデーナイトファイトが行ったミドル級トーナメント「Boxcino 2014」優勝のモンローを相手に、2回に右フックとコンビネーションで2度ダウンを奪いいきなりストップ寸前まで追いつめると6回に右フックでダウンを奪う、モンローは立ち上がるが試合を棄権するとレフェリーに告げ試合終了。6回45秒TKO勝ちでWBA王座は14度目、IBO王座は11度目、WBC暫定王座は2度目の防衛に成功した。ゴロフキンは150万ドル(約1億8千万円)のファイトマネーを受け取った。なお、この試合はモンローが王座認定料支払いを拒み、WBCの試合30日前計量と7日前計量を受けなかった為、モンローにWBC王座はかけられなかった。また、IBO王座がかけられることも拒否したため、モンローが勝利した場合WBA王座のみ獲得できる変則的な形で行われた。2015年10月17日、マディソン・スクエア・ガーデンでIBF世界ミドル級王者デイビッド・レミューと王座統一戦を行った。左ジャブを有効に使い的確にパンチをまとめ、5回に左ボディでダウンを奪う。さらに強打でレミューを追い詰めコーナーへ棒立ちになったところでレフェリーがストップ。8回1分32秒TKO勝ちを収めWBA王座は15度目、WBC暫定王座は3度目、IBO王座は12度目の防衛と、IBF王座獲得に成功した。ゴロフキンは200万ドル(約2億4千万円)のファイトマネーを受け取った。ゴロフキンのキャリアで初めてPPV(HBO)での放送となり、15万件を販売した。2015年11月2日、IBFは最新ランキングを発表し、上述のレミュー戦に勝利し王座を獲得したゴロフキンをIBF世界ミドル級王者としてランクインした。2015年11月10日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のレミュー戦の勝利が評価され、ゴロフキンはWBAの2015年10月度の月間MVPに選出された。2015年12月、WBCはWBC世界ミドル級正規王者サウル・アルバレスと王座統一戦を行うよう通達し、WBCと両陣営が交渉した結果、WBCは2016年秋頃の統一戦までに互いが1試合選択試合を行うことを承認した。K2プロモーションのトム・ローファーは、ゴロフキンの次戦はIBFの指名挑戦者トレアノ・ジョンソンが有力だとコメントした。2016年1月、K2プロモーションのトム・ローファーは、ゴロフキンの次戦としてWBO世界ミドル級王者ビリー・ジョー・ソーンダースと王座統一戦を行うためにソーンダース陣営に統一戦のオファーを出したとコメントした。これに対してソーンダース陣営(フランク・ウォーレン率いるクィーンズベリー・プロモーションズ)は、アメリカではなくイギリスでの試合開催とファイトマネーの条件アップを要求したため、交渉が決裂した。またIBFの指名挑戦者トレアノ・ジョンソンが肩を負傷したため、ゴロフキンの次戦の候補から外れた。これによってアル・ヘイモン傘下でIBF世界ミドル級3位のドミニク・ウェイドが指名挑戦者となる見通しとなった。2016年1月12日、WBCは2015年度の年間表彰を行い、ゴロフキンをChampion of the Yearに選出した。2016年2月16日、ゴロフキンはメディアの質問に対し、秋にも対戦が見込まれるWBC世界ミドル級正規王者サウル・アルバレスについて言及し「彼はミドル級のチャンピオンであって、ジュニア・ミドル級のチャンピオンではない。ミドル級は160ポンドだ」とキャッチウェイトで試合を行うアルバレスを牽制し、2016年5月7日にアルバレスがアミール・カーンと対戦することについても「カーンはスピードがあるが、アルバレスとやるには小さすぎる」と批判し、アルバレスと統一戦を行う場合はキャッチウェイトで試合を行うつもりがないことを強調した。2016年4月23日、ザ・フォーラムでWBA世界ミドル級6位、WBC世界ミドル級8位、IBF世界ミドル級3位でIBFの指名挑戦者ドミニク・ウェイドと対戦し、初回終了間際に右フックを脳天に突き刺すダウンを奪いレフェリーストップ寸前まで追い詰め、2回に左フックから右フックをガードの上に叩きつけてダウンを追加。最後は右フックをガードに叩きつけてダウンを追加しカウンテッドアウトで試合終了。2回2分37秒KO勝ちを収めWBA王座は16度目、WBC暫定王座は4度目、IBO王座は13度目、IBF王座は初防衛に成功した。ゴロフキンは200万ドル(2億1600万円)、ウェイドは50万ドル(5400万円)のファイトマネーを受け取り、試合を中継したHBOの視聴者数は132万5千人を記録した。試合後にゴロフキンは「5月7日、誰が勝とうが関係ない。カネロよ、私と対戦したくなければ私にベルトを預けよ」とWBC世界ミドル級正規王者サウル・アルバレスを挑発した。また試合を観戦したWBAのヒルベルト・メンドーサ・ジュニア会長は、WBCがアルバレスvsゴロフキン戦を指令していることに関して「マウリシオ・スライマン会長の書いた政策シナリオに振り回されている。WBAとしてはゴロフキンに正規王者ダニエル・ジェイコブスと対戦してもらいたい。我々のポリシーはチャンピオンは1人。WBCと問題を引き起こしたくないから慎重に対処したい。ジェイコブスでもカネロでもいい試合になればどちらでもいい。でもWBAは筋道を立て、3、4ヵ月以内にゴロフキンvsジェイコブス戦を締結するよう指令するつもりだ」と語り、WBA世界ミドル級正規王者ダニエル・ジェイコブスとの統一戦を指令する意向を明かした。2016年5月6日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のウェイド戦の勝利が評価され、ゴロフキンはWBAの2016年4月度の月間MVPに選出された。2016年5月7日、T-モバイル・アリーナで行われたサウル・アルバレスvsアミール・カーン戦を観戦。勝ちを収めたアルバレスにリングに呼ばれ、アルバレスは「自分がリングに上がれと言ったんだ。私は絶対にGGGを倒して見せる。今からグローブをつけてもいい」と息巻き、キャッチウェイトについても「私はゴロフキンと戦う。彼と戦えるだけでなく、彼を打ちのめすことができるのだから幸せだ。ウェイトは何ら問題ない。私は彼と160ポンドで戦う」と言い切り、ゴロフキンとの統一戦を強く希望した。WBCは試合後に、ゴロフキン・アルバレス両陣営に15日間の交渉期間を設定(5月22日まで)し、交渉がまとまらなければ24日に入札を行うと通達した。これについてゴールデンボーイ・プロモーションズのオスカー・デ・ラ・ホーヤは「トム・ローファーと話し合いを続けている。何らかの結論を見出すことになる。カネロは9月に試合をする」と発言。「ではゴロフキン戦は実現するのか」と念を押されると、「カネロはレジェンドになることを望んでいる。リスクを冒すことを望んでいる」と語るにとどめた。2016年5月18日、アルバレスがWBC世界ミドル級王座を返上したため、WBCは暫定王座だったゴロフキンを正規王座に認定した。アルバレスは「WBCにはタイトルの返上を申し出た。ゴロフキンを倒すつもりだが、設けられた期限にリングへ上がることを強制されたくはない。この音を立てている時計を脇にどけたことで、両陣営が試合の交渉を行い、ゴロフキンと私ができる限り早くリングに上がれることを期待している」と声明を発表。プロモーターのデ・ラ・ホーヤは「WBCから指示された期限内での交渉を強制されたくない。これでWBCのベルトは交渉の場から外れた。ゴロフキンと彼のプロモーターであるK2プロモーションが誠意を持って交渉の場に就き、この契約が結ばれることを願っている」と話し、K2プロモーションズのトム・ローファーは「対戦は100%実現すると信じている」と話した。また対戦希望について、デ・ラ・ホーヤが2017年5月まで先延ばしをしたがっている情報があるのに対し、ローファーは年内の9月が第1希望としながら「時間はたっぷりある。両者の対戦が次になるにしても、来年になるにしても、私は楽観的だ」と話した。2016年7月5日、エディー・ハーン氏がWBA・WBC・IBF世界ミドル級スーパー王者のゲンナジー・ゴロフキンと元WBA世界ミドル級暫定王者のクリス・ユーバンク・ジュニアが対戦すると発表した。2016年7月8日、ユーバンク陣営との対戦交渉が決裂、ゴロフキン陣営からのIBF世界ウェルター級王者のケル・ブルックとの対戦要請にブルック陣営が即断しゴロフキンとブルックが対戦することが決定した。2016年9月7日、WBAが1度もミドル級で試合をしたことがないブルックの安全と健康を守ることを理由にゴロフキン対ブルック戦をタイトルマッチとして承認しないと発表。ゴロフキン対ブルック戦はWBA世界ミドル級スーパー王座が懸けられずWBC世界ミドル級王座並びにIBF世界ミドル級王座が懸けられることが正式に決定した。2016年9月10日、ロンドンのO2アリーナで2階級下のIBF世界ウェルター級王者のケル・ブルックと対戦し、初回にダウン寸前まで追い詰めるがブルックが耐えて反撃、しかしゴロフキンはブルックの反撃をこらえて最後はロープ際でコンビネーションをまとめ、ブルック陣営のタオル投入による5回1分52秒TKO勝ちを収め、WBC王座は5度目、IBO王座は14度目、IBF王座は2度目の防衛に成功し、WBAから世界王座戦として承認されずWBAスーパー王座が懸けられずに行われた試合で34年ぶりにウイルフレド・ゴメスの持つ17連続KO防衛記録に並んだ。試合後、ゴロフキンは「彼は素晴らしいファイターだけど、申し訳ないがミドル級じゃなかった。彼の階級のままだった。彼には敬意を払うけれど、強くはなかった。何度もパンチはあったけれど、感じもしなかった」とコメントを残し、ブルックは眼窩底骨折の重傷を負って手術を受けた。2016年9月13日、WBAはWBA・WBC・IBF世界ミドル級スーパー王者のゲンナジー・ゴロフキンとWBA世界ミドル級正規王者のダニエル・ジェイコブスに対し、30日以内に王座統一戦に関する対戦交渉を開始し、120日以内に対戦するよう指令を出した。対戦交渉が合意に至らない場合は入札になるとのこと。
出典:wikipedia
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