LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

ランディ・ローズ (プロレスラー)

"ラヴィシング" ランディ・ローズ("Ravishing" Randy Rose、本名:Randall Alls、1956年7月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州ナッシュビル出身(ジョージア州アトランタ出身ともされる)。1980年代に一世を風靡したタッグチーム、ミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)のオリジナル・メンバーである。デビュー後はランディ・オルズのリングネームで活動し、1978年6月には国際プロレスの『ビッグ・サマー・シリーズ』に初来日。その後カンザスシティのセントラル・ステーツ地区に入り、1979年1月2日にディック・マードックからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を奪取した。1980年からはアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)に参戦し、ランディ・ローズに改名。同年9月に国際プロレスの『ダイナマイト・シリーズ』に再来日、アレックス・スミルノフやビッグ・ジョン・クインら外国人勢の斬り込み隊長役となって暴れた。国際では金網デスマッチも行っており、試合功者ぶりを発揮して関係者から高い評価を得た。帰国後もSECWを主戦場に、国際プロレスでも共闘していたロン・バスと組んで1980年10月にジョー・ルダック&ロバート・フラーからNWAサウスイースタン・タッグ王座を奪取。同年の末からはデニス・コンドリーとタッグを組み、翌1981年からはノーベル・オースチンも仲間に引き入れ、ヒールのタッグチーム・ユニットであるミッドナイト・エクスプレスを結成。サウスイースタン・タッグ王座を再三に渡って獲得し、メンフィスのCWAにも参戦した。1983年末のチーム解散後はSECWに定着し、従兄弟のパット・ローズとのタッグチームなどで活動。一方コンドリーは、1984年にビル・ワットのMSWAでボビー・イートンと新生ミッドナイト・エクスプレスを結成し、1985年よりNWAのジム・クロケット・プロモーションズで活躍したが1987年に離脱。その後、ローズとコンドリーは末期のAWAにて再合体、ポール・E・デンジャラスリーをマネージャーにオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスを名乗り、1987年10月30日にジェリー・ローラー&ビル・ダンディーからAWA世界タッグ王座を奪取、12月27日にマーティ・ジャネッティとショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズに敗れるまで保持した。1988年からはオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスとしてNWAクロケット・プロに参戦し、コンドリーの離脱後に再編されていたボビー・イートンとスタン・レーンのミッドナイト・エクスプレスを相手に骨肉の抗争を展開、12月26日開催の『スターケード'88』においても両チームは対戦した。しかし、テッド・ターナーのクロケット・プロ買収によりWCWが発足すると、1989年に再びコンドリーが離脱。ローズはジャック・ビクトリーとの新コンビで継続参戦していたが、イートン&レーンとのルーザー・リーブス・タウン・マッチに敗れて彼もWCWを離れた。1990年1月、ローズをスカウトしたとされるアブドーラ・ザ・ブッチャーの仲介で全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』に来日、1月14日の後楽園ホール大会では 小橋健太の7番勝負第3戦の相手を務めた。全日本プロレスには1991年5月の『スーパー・パワー・シリーズ』にもブッチャーと共に参戦している。1992年頃に現役を離れ、ホームタウンの北ジョージアにてチャリティ活動に携わった。引退後も時折インディー団体にスポット参戦しており、2006年にはTNTプロレスリングにてデニス・コンドリーとオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスを再結成し、5月6日にスタイナー・ブラザーズ、9月26日にアームストロング・ファミリー(ボブ&ブラッド・アームストロング)と対戦。2015年1月10日にはサウスカロライナのビッグタイム・レスリングにてトム・プリチャードと組み、ボビー・イートンとジム・コルネットをセコンドに迎えてロックンロール・エクスプレスと対戦した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。