中村 初恵(なかむら はつえ、8月18日 -)は、東京都生まれ、埼玉県出身のソプラノ歌手である。声質はリリコ・コロラトゥーラ。東京室内歌劇場会員。6歳よりスズキ・メソードでピアノを習い、音楽に親しみながらも、陸上などのスポーツ、バトンなどのびのびと活発な少女時代を送る。中学より私立三輪田学園中学校・高等学校に入学し、同高等学校を卒業。学園時代には、開成中学校・高等学校との合同混声合唱など音楽活動が盛んな合唱部の部長を中高共に務める。東京音楽大学声楽科を経て、(財)財団法人日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコースを修了。2002年にモーツァルト「レクイエム」ソプラノソロでソリストデビュー。ドイツ・レーゲンスブルクより来日の男声合唱団“レナーアンサンブル”と共演。オペラを中心に活動していたが、ロシア歌曲のCDを聴き、勉強を始める。その後、ロシア・サンクトペテルブルクにあるロシア国立マリインスキー劇場専属研修生(The Academy of young singers)のオーディションの機会を得てロシアへ渡航。現地にてオーディションに合格。2年間の契約を結び、文化交流ビザにて同劇場に所属。コンサートに出演しながら研鑽を積む。ロシア滞在中には、ロシアだけでなく フィンランドで開催される「国際オペラサマーアカデミー」に、2004年、2005年連続でマリインスキー劇場の選抜メンバーとして、参加。ディプロマ取得。ウィーン宮廷歌手のウラジーミル・アトランタフや、シベリウス音楽院 グスタフ・デュプシュバッカ、ラリッサ・ゲルギエワなどの師事や推薦を受け、数多くのコンサートに出演。師事していたグライル・ハネダニアン(元マリインスキー劇場ソリスト・現在作曲家)より、自身が作曲した「Ave Maria」を寄与された。ロシア歌曲の詩訳を務め、歌曲の詩を題材にエッセイを執筆。また、学生時代より施設や病院などでのボランティアコンサートを企画、演奏。現在は施設などでの演奏に加え、チャリティーコンサートを企画、開催している。 両親の影響で幼いころから音楽、歌が大好きだったが、陸上にバトン、ピアノと活発に過ごしていた。中学高校でもバトン部に入りたかったようだが、入学した学校にはバトン部がなかった。そのため学内の様々な部活を見学したところ、合唱の魅力にひかれ、入部。ハーモニーの美しさに感動し、合唱に打ち込んだ。中学高校の年月は、現在の音楽活動に大きな影響を与える6年間となる。中学2年生の頃に体の病気を患い、通院。3年間ほどまともに学校に通えないつらい時期を過ごし、音楽が支えだった。中学3年生のとき合唱で小さなソロを歌い、それがきっかけで音楽の教師から音大の受験を勧められる。自分を助けてくれた音楽に恩返しをしたい、との想いから音大受験を決意。ソリストとなってチャリティーコンサートを開きたいとの夢を持った。(HP、会報誌ハーニャチカ、本人談話など参考) 大学でのオーディションや国内のコンクールに挑んだが、一次選考で落とされることもあり、難しい世界に不安を抱えていた。大学卒業後はイタリアオペラを中心に学ぶが、日本の歌、宗教曲、ミュージカル音楽、映画音楽などの音楽に合う声質を持つことを恩師より指導され、オペラと同時に様々な曲を学ぶ。ソリストとしてデビューしてからのある日、音楽活動をする中でロシア歌曲に出会う。音楽の美しさ、詩の深さに魅力を感じ、ほぼ独学でロシア語を学び始める。その後、現地にてロシアマリインスキー劇場のオーディションを受ける機会を得て留学を決意。 2003年、ロシア国立マリインスキー劇場専属研修生のオーディションの機会を得て現地にて受験。世界の劇場でも5本の指に入ると言われるこの劇場のオーディションに合格したことが、大きな転機となった。劇場で日々研鑽を積み、演奏を重ねる中で得た国際的な芸術家や歌手たちとの出会いや劇場での経験、そして国際コンクールでの受賞や一流の指導人、特に憧れの存在だったイレアナ・コトルバシュやウラジーミル・アトランタフ、ラリッサ・ゲルギエワから得た指導や言葉は、現在の音楽活動に大きな影響を与えている。
出典:wikipedia
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