伊集院町下谷口(いじゅういんちょうしもたにぐち Ijūin-Chō Shimotaniguchi)は、鹿児島県日置市の大字。旧日置郡伊集院郷谷口村の一部、日置郡伊集院郷下谷口村、日置郡中伊集院村大字下谷口、日置郡伊集院町下谷口。人口は3,558人、世帯数は1,443世帯(2010年10月1日現在)。郵便番号は899-2501。日置市の東端部、谷口川中流域から下流域に位置している 。字域の北方には日置市伊集院町徳重、伊集院町清藤、南方には日置市伊集院町恋之原、西方には日置市伊集院町飯牟礼、伊集院町大田、東方には日置市伊集院町猪鹿倉、鹿児島市福山町、鹿児島市上谷口町に接している。字域の南方から西方にかけて鹿児島県道24号鹿児島東市来線が通っており、それに沿うように鹿児島本線が通っている。中央部には鹿児島県道206号徳重横井鹿児島線が東西に通っている。また南九州西回り自動車道が東西に通っており、字域内には伊集院インターチェンジが所在している。北部には市街地が形成されており、日置市立伊集院小学校、日置市立伊集院中学校が所在している。市街地の中心部には市街地と伊集院駅を結ぶ鹿児島県道301号伊集院停車場線が南北に通っている。下谷口という地名は江戸期より見え、薩摩国日置郡伊集院郷のうちであった。「元禄郷帳」及び「天保郷帳」には「谷口村」とあるが、「薩藩政要録」及び「旧高旧領取調帳」では下谷口村と上谷口村(現在の鹿児島市上谷口町にあたる)に分かれており、その間に分村したことが分かる。「伊集院由緒記」には「上谷口村、下谷口村、右二カ村前代谷口村と申す一カ村にて、上下に相分り候由。何年間に相分り為申訳、相知不申候」と記されており谷口村が上下に分けられた年間は不明であるが、時期は江戸時代前期であると推測されている。下谷口村の村高は「旧高旧領取調帳」では1,128石余であった。村域の北方には薩摩街道が通り、南方にある台地には地頭仮屋があり、周囲には麓が形成されていた。しかし宝永6年に御仮屋は苗代川(現在の東市来町美山にあたる)に移されたとされている。1889年(明治22年)に町村制施行により伊集院郷の一部より中伊集院村が成立し、それまでの下谷口村は中伊集院村の大字「下谷口」となった。1922年(大正11年)には中伊集院村が町制施行し、伊集院町の大字となった。2005年(平成17年)に伊集院町が東市来町、日吉町、吹上町と新設合併し、それに伴い大字はそれまでの大字名に旧自治体名を冠したものに改称することとなり、日置市の大字「伊集院町下谷口」となった。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。上記の他、鹿児島市に隣接している地域では鹿児島市に位置する鹿児島市立松元小学校、鹿児島市立松元中学校に通学している。
出典:wikipedia
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