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マイク・ショー

マイク・ショー(Mike Shaw、1957年5月9日 - 2010年9月11日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州マーケット出身。偽インド人マッカン・シン(Makhan Singh)、狂人ノーマン・ザ・ルナティック(Norman the Lunatic)、修道僧フライアー・ファーガソン("The Mad Monk" Friar Ferguson)、醜男バスチャン・ブーガー(Bastion Booger)など、さまざまなキャラクターを演じた巨漢ヒールである。1979年にキラー・コワルスキーの運営するスクールに入門。コワルスキーのブッキングでマサチューセッツ州のWWFのTVショーにてマイク・ストライカーの名でデビューし、ボストン・ガーデンの興行にも出場した。1981年より、ジン・キニスキーらの主宰するカナダ・バンクーバーのNWAオールスター・レスリングに、クロンダイク・マイクのリングネームで参戦。ベビーフェイスのポジションで活動し、日系アメリカ人レスラーのディーン・ホーともタッグを組んだ。1984年にはビッグ・ベン・シャープを名乗って南アフリカに遠征し、ここで知り合ったタイガー・ジェット・シンのパートナーとして、同年11月に全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦』に本名のマイク・ショー名義で初来日している。リーグ戦ではシンと仲間割れを起こしたが、以後はシンにあやかってインド人ギミックのマッカン・シンに変身。カルガリーのスタンピード・レスリングにて、シンの弟子であるガマ・シンやストロンガー・スティーブ・ディザルボと共に、カラチ・ヴァイス("Karachi Vice")なるヒールのユニットを結成する。1986年10月31日には、トーナメントの決勝でオーエン・ハートを破りフラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得、以降も1988年にかけてオーエンと同王座を争った。また、1988年12月30日にはヴォッカン・シンとのコンビでダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスのブリティッシュ・ブルドッグスからインターナショナル・タッグ王座を奪取している。1989年、ジム・ロスのスカウトで初期のWCWに参戦。テディ・ロングをマネージャーに、ジョージ・スティール系の精神異常者ノーマン・ザ・ルナティックに変身。後にテディベアの好きなベビーフェイスに転じてケビン・サリバンやカクタス・ジャックと抗争、一時期は週に200ものテディベアのぬいぐるみを観客からプレゼントされるほどの会場人気を獲得した(彼はそのぬいぐるみを、小児病院に寄付していたという)。WCWでは、トラック運転手ギミックのトラッカー・ノームを演じたこともある。WCW離脱後の1991年は、マッカン・シンのキャラクターに戻ってテキサス州ダラスのGWF(グローバル・レスリング・フェデレーション)に登場。カクタス・ジャックやスコット・アンソニーらのヒール・ユニット、ザ・カーテル("The Cartel")の一員となった。その後はメキシコ遠征を経て、1993年にJ・J・ディロンの招きでWWFと契約。中世のカトリック修道僧をデフォルメした、マッド・モンクことフライアー・ファーガソンとして登場し、ジ・アンダーテイカーとの宗教抗争も計画されるが、ニューヨークのカトリック教会からの抗議を受けギミック・チェンジを余儀なくされ、新キャラクターのバスチャン・ブーガーに再変身する。ブーガーは企画段階ではガーゴイルをモチーフとする怪物キャラクターだったものの、そのコスチューム(角の付いた巨大な仮面)が当時WCWで活躍していたベイダーに類似しているとビンス・マクマホンが判断したため、最終的には下品で醜い肥満男というコミカルな中堅ヒールに収まった。バンバン・ビガロとルナ・バションのカップルとも共闘し『サバイバー・シリーズ '93』にも出場したが、ビガロと仲間割れ後の1994年初頭にWWFを解雇された。セミリタイア後の2007年12月10日、『RAW』15周年記念番組のオープニング・セグメントに、サニー、メイ・ヤング、パット・パターソン、ジェリー・ブリスコ、ナックルボール・シュワルツ、ザ・ゴッドファーザーらと共にトリプルHの紹介で出演し、久々のWWE登場を果たしている。2010年9月11日、心臓発作により死去。。

出典:wikipedia

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