『巨泉のこんなモノいらない!?』(きょせんのこんなモノいらない)は、日本テレビ系列(一部の系列局を除く)ほかで放送された日本テレビ制作のトークバラエティ番組。大橋巨泉の冠番組。制作局の日本テレビでは1987年10月4日から1989年9月24日まで、毎週日曜 21:00 - 21:54 (JST) に放送。日常生活から政治・経済に至るまで、世の中の「いらないモノ」をざっくばらんに斬っていくことをコンセプトにしたトークバラエティ。サブタイトルには "THAT'S INFOR-TAINMENT" (ザッツ・インフォーテインメント)を冠していたが、これは情報などを意味する "Information" と娯楽を意味する "Entertainment" を組み合わせた造語である。この言葉は、後継番組『知ってるつもり?!』の初期にも使われた。巨泉は1990年に芸能界からセミリタイヤしているが、そのきっかけとなったのが、副業であったカナダ・オーストラリアの土産物店の経営が好調なことである。そのため、番組を何度も欠席。徳光和夫、青島幸男、山城新伍らが代理司会を務めた。いらないモノとして取り上げられた中には「NHK」や「大河ドラマ」「高校野球」「オリンピック」「英語教育」「ノストラダムスの大予言」「子供」「法律」「敬語」や「仕事」といったものもあった。また、視聴者アンケートでは「巨泉」自体がいらない、が2位となった。本番組は、トークバラエティ番組としては珍しく二ヶ国語放送で制作されていた。アメリカからの意見を、NBCキャスターのジャック・レイノルズが中継で述べていた。「ヘイ、ジャック」と呼びかけて始まる巨泉とのフランクな英語での会話は有名になった。超能力というテーマで、Mr.マリックが「超魔術」を披露。「こんなものは超能力ではない」というのが番組の趣旨だったが、これ以後、マリックは超能力者だという取り上げられ方をメディアでされるようになる。たばこというテーマには、たばこ業界から「日本テレビにはCMを出さない」などと抗議を受けた(放送当時はたばこのCM放送が可能だった)。この番組は、筑紫哲也が編集長だった『朝日ジャーナル』で連載されていた「こんなものいらない」がヒントになっている。番組を企画するにあたって、巨泉が大学の後輩にあたる筑紫に伺いを立てたところ、筑紫は快諾。筑紫は第1回のゲストや年末の「こんなものいらない大賞」の審査員など何度か出演した。番組終了から26年が経過した後に発売された週刊朝日2015年9月18日号にて『安保法制反対 大橋巨泉の「こんなモノいらない!」』と題して巨泉が当時国会で可決されようとしてた平和安全法制に反対する特集記事を掲載した。後年刊行された巨泉の著書「巨泉 人生の選択」(講談社)によると、この時すでに巨泉は55歳でのセミリタイヤを決断しており、当初から番組は取り上げるテーマ100個、放送期間2年で終了させるつもりで当番組を始め、好評により局側からの続投要請を受けたものの当初の意向を貫徹してこれを固辞、予定どおり2年で番組は終了した。また当番組を「大橋巨泉の代表作」と語るほどタレント活動の集大成として捉えていた巨泉はその実現のために、自身が放送開始以来長年にわたって関わり司会としても週2回出演してきた同局の深夜番組「11PM」を、当番組の放送開始前に完全降板したうえで臨んでいる。最終回で取り上げたのは国境であり、ゲストに自民党から河野洋平、日本社会党から上田哲がゲスト出演した。番組内容をまとめた書籍が放送終了後に日本テレビ放送網より販売された。系列はネット終了時(1989年9月)のもの。いずれもTHE ALFEEの曲。
出典:wikipedia
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