大山 英雄(おおやま ひでお、1970年7月23日 - )は、日本のお笑いタレントである。兵庫県伊丹市出身。吉本興業所属。「吉本の福山雅治」(福山の『龍馬伝』出演後は「吉本の龍馬」とも名乗っている)を自称するお笑いタレントとしてその名を知られている。NSC8期生。同期には千原兄弟、FUJIWARA、バッファロー吾郎、なだぎ武(ザ・プラン9)などがいる。元・やるじゃねぇかーずの浦井崇とマニアックというコンビを組んでいた時期がある。1992年に吉本新喜劇に入団。2001年に東京に拠点を移し、ルミネtheよしもとの新喜劇班に所属する。福山雅治やペ・ヨンジュンのものまねが有名である。福山雅治のテレビ番組『福山エンヂニヤリング』で福山本人と共演したこともある。2006年5月16日には『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に福山本人から紹介され出演(前日の電話で「あ、どうも"ニセ福山"です」と会場内の笑いを取った)。スタジオには、福山から贈られたスタンド花束だけが出演祝いとして飾られていた。『笑っていいとも!』では、放送終了後にタモリが「福山雅治君です」と言うドッキリがあった(勿論誰も出てこない)が、「福山雅治君です」に合わせて福山に扮して出て、観客から大顰蹙を買った。並外れた親バカで、自分の息子と公園でブランコの順番待ちをしてると、遊んでいる子供に「もうええやろ!(さっきから)待っとんねん!」と強引に割り込ませたことがある。松本人志は、ラジオ番組『放送室』でこのエピソードを取り上げ「あいつの理不尽さにも腹が立つし子供の教育にも良くない」と怒り心頭に発していた。また、同番組の人気企画であるカプリチョーザ杯第2回に出場。松本は当初英雄に対しかなり期待値を下げて審査に臨んだが、英雄が放った「おとんとみかん」というフレーズがツボにハマり終始大爆笑した。優勝こそ逃したものの、14個のダジャレを入れると大健闘。松本曰く「クソ〜、ハマってもうたなあ」。新喜劇には愛着があり、「テレビに出るのは顔を売るため。僕のことをテレビで知って新喜劇に来て欲しい」と語ったことがある。ほんこん(130R)によれば基本的にナルシストであり「ほめたらんとあかんタイプ」であるという。また、肝心な所でダメなタイプで、例えばある時、ほんこんに「新喜劇の稽古中に辻本茂雄と吉田ヒロがケンカになったが、桑原和男が一言でピタッっと止めた。凄かった」と言う話をしたが、ほんこんが「桑原がどんな一言を言ったのか」と聞いたところ、肝心のその一言の内容を全く忘れてしまっていたなどといったことがあったという。常々髪型を気にしている。『やりすぎコージー』でルミネの楽屋に隠しカメラを置いて検証したところ、3時間ひたすら鏡を見ながら約2000回も髪をいじくりまわしていた。またそのVTRによると、楽屋入りの際に後輩から挨拶されても完全に無視しており、後輩も驚いた様子などまったくなかったので、スタジオでも普段から無視しているだろうと言われていた。学生時代は野球一筋で頑張っており、その頃から「伊丹の明石家さんま」という異名がつくようになった。ゴルフの腕前はかなりなものであるが、多種多様なイカサマが芸人の中では有名らしい。陣内智則が大山からゴルフの誘いをメールで受け、了承の旨を返信した所「いつなら空いてますか?ちなみに僕は今月の1日〜10日と、13日〜16日と、18日と、20日〜29日と31日が空いてます」と返ってきた。東京に本拠地を移しルミネを中心に活躍し、その給料でマンションを購入している。付いた通称が「Mr.ルミネ」。同じ福山のものまねで活動中のみっちーに対する嫉妬が強い。しかしその一方で、『あらびき団』(TBS)での共演を通じて「みっちーと意気投合した」と自分のブログで書いている。ちなみに、福山のものまねをするきっかけは、母親の「あんた、福山君に似てるなぁ」の一言から。かなりの頻尿である。ほか多数
出典:wikipedia
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