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金平茂紀

金平茂紀(かねひら しげのり、1953年12月18日 - )は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、元TBS報道局記者。北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校から東京都立西高等学校に転入。東京大学文学部社会学科卒業。1977年、TBS(現・東京放送ホールディングス)入社。報道局社会部記者として、警視庁記者クラブ、司法記者クラブ(ロッキード事件での田中角栄の1審裁判などを担当)、文部省記者クラブに勤務。1986年より報道番組のディレクターやプロデューサーになり、1989年から1990年の番組終了まで『JNNニュースコープ』副編集長を務める。1991年から1994年までの間はJNNモスクワ支局長としてソ連の崩壊などを取材。1991年のクーデター事件後にミハイル・ゴルバチョフやボリス・エリツィンに対して、単独インタビューを海外メディアの中で初めて行った。帰国後の1994年に『筑紫哲也 NEWS23』の番組編集長(デスク)に就任し、2002年まで8年間務めた。番組編集長在任中はビル・クリントンや朱鎔基とのタウンホール・ミーティング番組の放映や、TBSオウム事件、阪神・淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件などの報道を経験し、多くの関連番組や特集企画を担当。筑紫哲也の「右腕」として、『筑紫哲也 NEWS23』をTBSの看板番組に発展させることに協力した。その後は2002年よりJNNワシントン支局長、2005年よりTBS報道局長を歴任。2008年5月にはTBSアメリカ総局長兼TBSインターナショナル副社長としてニューヨークへ転出した。アメリカ総局長在任中はコロンビア大学東アジア研究所の客員研究員として2年間在籍し、多くの論文を発表した。2010年に帰国し、9月に執行役員に就任。10月2日より日下部正樹と共に『報道特集』のメインキャスターを務めている。2005年5月15日、編成制作本部報道局長。2006年6月22日、取締役編成制作本部報道局長。2007年3月、取締役編成制作本部報道局長・編集主幹。2007年6月5日、取締役編成制作本部報道局長。2008年6月19日、TBSアメリカ総局長・TBSインターナショナル副社長。2009年4月、執行役員TBSアメリカ総局長・TBSインターナショナル副社長とそれぞれ歴任。アメリカ総局長時代の2008年12月から2010年9月まで、高野孟が主宰するwebサイト『THE JOURNAL』にてコラム「金平茂紀の『NY発・チェンジング・アメリカ』」を連載していた。現在は『報道特集』への出演と並行して、『THE JOURNAL』など複数のwebサイトで発信も行っている。2010年9月からは執行役員報道局付。2016年3月31日付で執行役員を退任し、TBSを退社した。尚、退社後も『報道特集』のメインキャスターは続投する。高い評価をする者が一部でいる一方、局内での歯に衣着せぬ発言が物議を醸し、読売TBS訴訟では社内のニュース報道を批判したことから処分を受けたほか、TBSビデオ問題の際も一部幹部の行状を厳しく批判したことから、自らが立ち上げに参加した検証番組チームから外されそうになったと言われている。さらには、夕方ニュースのワイド番組化やゴールデンタイムへの進出構想に対しては「時期尚早」と強く反対したことから経営陣の不興を買い、報道局長のポストからニューヨークへと転出した経緯もある。東日本大震災以降、キー局のキャスターの中では、かなり高い頻度で、被災地の現場取材や警戒区域内の取材を行っている。中東世界の激変について、リビアの政権崩壊をめぐる動きやシリアの内戦に至る動きを、チュニジアやエジプト等の「アラブの春」と同じ範疇で語ることに異を唱えている。文化人とのつきあいも少なくないが、生前の忌野清志郎や江戸アケミとも交流していた。さらに舞踏家の大野一雄、文学者の澁澤龍彦を好んでいたという。最近では、坂本龍一や大熊ワタル、大友良英といったミュージシャンや、漫画家のしりあがり寿らと親交を結んでいる。射手座。左利きで血液型はAB型。趣味は水泳。地方銀行に勤務していた父親の関係で、少年時代は転校が多かったという。現在は、横浜市内で妻と猫2匹とともに暮らしている。

出典:wikipedia

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