


東郷町山田(とうごうちょうやまだ Tōgō-Chō Yamada)は、鹿児島県薩摩川内市の大字。旧薩摩郡東郷山田村、薩摩郡上東郷村大字山田、薩摩郡東郷町山田。郵便番号は895-1104。人口は527人(2010年4月末現在)。字域の面積は9.92Kmである。薩摩川内市の北部、川内川支流山田川の上流域に位置している。北東部に飯森塚岡の丘陵、西部には笠山が広がり、その中間に盆地状の地形をなしており、盆地部に集落が集中している。字域の北方から東方にかけてさつま町白男川、南方に東郷町南瀬、西方に東郷町斧渕、東郷町鳥丸、東方にさつま町二渡が接している。中央部をほぼ東西に鹿児島県道344号東郷山田宮之城線が通り、薩摩川内市立山田小学校付近で鹿児島県道346号山田入来線が南方に向けて分岐している。北部には川薩広域農道が東西に通っており、東郷町鳥丸と結ぶ山鳥トンネル、さつま町白男川とを結ぶ白山トンネルがある。山田という地名は戦国期より見え、薩摩国東郷のうちであった。「文明記」には「東郷之内往山田集千軍勢」とある。戦国期には渋谷氏と島津氏の抗争が激しく、文明17年には東郷重理は白男川(現在のさつま町白男川)にある栗脇城に陣し、泊野川を挟み島津忠廉と対戦し東郷重理は敗れ、当地にあった山田城に陣した。その後島津忠廉は追撃して来たが、激戦の後忠廉は敗れ帖佐に引き揚げた。江戸期には薩摩国薩摩郡東郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」では440石余、「旧高旧領」では862石余であった。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、東郷のうち山田村などの5村の区域より上東郷村が成立し、江戸時代からの山田村は上東郷村の大字「山田」となった。1952年(昭和27年)に上東郷村が名称変更および即日町制施行した為、東郷町の大字となった。その後2004年(平成16年)10月12日には東郷町が川内市、樋脇町、入来町、祁答院町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村と共に新設合併し、大字名は従来の大字名に旧町名である東郷町を冠したものとすることとなり薩摩川内市の大字「東郷町山田」となった。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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