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ピエロ・タルッフィ

ピエロ・タルッフィ("Piero Taruffi" 、1906年10月12日 - 1988年1月12日)は、イタリアのローマ出身の元フォーミュラ1 ドライバーである。オートバイライダーとしてデビューし頭角を現し、1932年にはノートンでヨーロッパ選手権(500cc)のチャンピオンとなった。また1937年にはオートバイでの世界最高速記録を樹立した(279.503 km/h)。1950年イタリアグランプリで、地元イタリアのアルファロメオからF1ドライバーとしてデビューした。翌1951年にフェラーリに移籍し、1955年まで所属した。なお1952年スイスグランプリで初優勝を飾った。1955年にメルセデス・ベンツに移籍したものの、同チームが同年のル・マン24時間レースで200名以上の観客を死傷させる大惨事を起こしモータースポーツから撤退したために、翌1956年は再びイタリアのマセラティに移籍した。なお、同年後半はイギリスのヴァンウォールに移籍し、同年のイタリアグランプリを持ってF1から引退した。F1における優勝は1回。予選での最高位は2位で、フロントローは4回獲得している。1957年のミッレミリア優勝者でもあり、1977年のミッレミリア・ストーリカとして復活するまでの同レース最後の勝者でもある。また、ミッレ・ミリアと並ぶ伝説的なレースであるタルガ・フローリオでも優勝している。1960年代初頭の日本のモータースポーツ黎明期において、日本に本場のヨーロッパ流のモータースポーツを根付かせることに大きく貢献した。1964年に鈴鹿サーキットで開催された「第2回日本グランプリ」の名誉総監督として運営に対するアドバイスを行ったほか、千葉県船橋市に開設された船橋サーキットのコース監修をつとめた。また、生沢徹や式場壮吉などの、当時の日本人トップレーシングドライバーに対するレーシングドライビングテクニックの講習を行うなど、その貢献は多岐にわたった。晩年まで度々来日している。

出典:wikipedia

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