小川 真司(おがわ しんじ、1941年2月19日 - 2015年3月7日)は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。本名は小川 治彦(おがわ はるひこ)。死去時点での最終所属先はヘリンボーンであった。俳優・小川ゲンの父。東京市世田谷区出身。東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。血液型はO型。田園調布出身で、父親は大手企業の社長だった。後に等々力に移住した。少年時代は可愛らしい顔だったためカメラマンにスカウトされ、小学1年から3年まで『太陽少年』という少年誌の表紙モデルをやっていた。また、小学生から中学生になるまでクラシック・バレエを習っていた。その後、作曲家を目指すが才能がないと思い断念し、普通の仕事に就くつもりだったが、高校を卒業するときに河内桃子の妹である友達から、俳優座養成所の卒業公演に招待され観に行ったところ、華やかで楽しそうだと感じ、父親に反対されながらも援助はいらないと説得して、大学進学よりも劇団に入ることを選んだ。そして俳優座に受かり、養成所に入る。当時は映画全盛期の時代で、映画俳優がテレビに出たがらなかったため、養成所の新人を探していたテレビ局関係者から抜擢され、石坂洋次郎原作の青春ドラマ『寒い朝』で十朱幸代の相手役としてデビューした。養成所卒業後は文学座に入ろうとしたが、その年に文学座が劇団員をとらなかったため、小沢昭一が結成した俳優小劇場に入団する。その劇団には大塚周夫や小山田宗徳が在籍しており、小川自身も吹き替えの仕事に呼ばれていたが、ほとんどが少年役で、地声が低くダメ出しされることが多かったため吹き替えの仕事は断っていた。30歳を過ぎてから大人役が増え、『華麗なる世界』の吹き替えを1年間やり遂げた。それからは声の仕事でも活動するようになった。2014年秋頃から体調を崩し、入退院を繰り返しながらレギュラー出演していた『クリミナル・マインド FBI行動分析課』の吹き替え収録などの役者活動を継続していたが、2015年2月に体調不良により全ての持ち役を降板、同年3月7日、器質化肺炎のため死去。74歳没。葬儀は近親者のみで執り行われた。芸歴:俳優座俳優養成所、劇団俳優小劇場、無名塾、青二プロダクション、紅屋25時、大沢事務所、ヘリンボーン(最終所属)多数の洋画作品で吹き替えを担当しており、『フォーリング・ダウン』や『ケープ・フィアー』等をはじめメガネにスーツ姿の知的な役の吹き替えを担当する事が多い。俳優ではマイケル・ダグラスをはじめ、ダスティン・ホフマンやロバート・デ・ニーロ、ティモシー・ダルトン、サム・ニール、マイケル・ケインなどの吹き替えを多く担当していた。映画『バットマン ビギンズ』ではソフト・地上波放送合わせて3パターンある吹き替え版に全て出演している。長年担当しているマイケル・ダグラスに関しては「演じていて楽しいですし、感心する」と語っており、息遣いやタイミングなど演技をする際には掴みやすいと語っている。小川自身は悪役の吹き替えは楽しいと語り、特に異常な役を演じることが楽しいと語った。2015年2月、体調不良を理由に出演予定だった作品を降板し、出演中だった作品も代役が立てられた。また、2015年1月に『』の吹き替え声優としてキャスティングされることが発表されていたが、出演することはできなかった。1979年1986年1987年1988年1989年1991年1997年1998年1999年2000年2002年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2016年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1996年1997年1998年2001年2004年2006年2008年2010年 2015年1989年1991年1992年1995年1997年1998年2006年2008年2010年2013年2014年1994年1997年2003年2006年2007年2008年2009年2011年2012年2013年2014年1972年1976年2011年2012年
出典:wikipedia
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