


安藤 信昭(あんどう のぶあき、1890年(明治23年)3月2日 - 1976年(昭和51年)12月16日)は、日本の華族(子爵)、貴族院議員。旧磐城平藩主安藤家15代目当主。有馬頼寧は実兄。伯爵有馬頼万(筑後久留米藩主家当主)の次男として東京に生まれる。初名は有馬頼篤。子爵安藤信篤(磐城平藩主家当主)の養子となり、1915年(大正4年)7月、信篤から家督を譲られて家督を継承した。同年、皇族・閑院宮載仁親王の第1王女である恭子女王(ゆきこじょおう)と結婚した。1915年(大正4年)、東京府立園芸学校(現:東京都立園芸高等学校)を卒業。1921年(大正10年)に侍従補となり、以後、侍従や式部官を歴任。昭和天皇の即位の礼に際して大礼使典儀官も務めた。1932年(昭和7年)に貴族院議員(子爵議員)となり研究会に所属、1947年(昭和22年)の貴族院廃止まで議員を務めた。また、横浜生命保険会社の取締役も務めている。実兄の有馬頼寧とともに、草創期の日本プロ野球に深く関わった。1936年1月17日、有馬頼寧と協力し、旧・西武鉄道(現在の西武鉄道とは別会社)を運営母体としてプロ野球チームの東京セネタースを結成、頼寧がオーナー、信昭が理事長となる。同年2月5日結成された社団法人日本職業野球連盟(後の日本野球機構)では、初代副総裁のひとりに就任している。『平成新修旧華族家系大成』は、実子3男4女を載せる。長男・信敬(のぶゆき、1917年 - 1936年)は早世しており、二男・信和が霞会館(旧華族会館)の会員となっている。
出典:wikipedia
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