東市来町美山(ひがしいちきちょうみやま Higashiichiki-Chō Miyama)は、鹿児島県日置市の大字。旧日置郡伊集院郷苗代川村、日置郡下伊集院村大字苗代川、日置郡東市来町美山。人口は537人、世帯数は206世帯(2010年10月1日現在)。郵便番号は899-2431。日置市の西部に位置している。字域の北方には日置市東市来町長里、南方には日置市東市来町美山元寺脇、東市来町宮田、東市来町寺脇、東方には日置市伊集院町寺脇、伊集院町野田、西方には日置市東市来町伊作田がそれぞれ接している。字域の中央部には鹿児島県道24号鹿児島東市来線が東西に通っており、東部を日置広域農道が南北に通っている。北部を国道3号が東西に通っており、中央部に鹿児島本線が通っている。南部には南九州西回り自動車道が南北に通っている。集落は国道3号沿いと県道24号沿いに多くあり、その中に多くの薩摩焼の窯元が所在している。苗代川という地名は江戸期より見え、薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであった。「伊集院郷土史」及び「東市来町郷土史」によると古くは市来郷養母村(現在の日置市東市来町養母)に属していたとされる。慶長3年に島津義弘が朝鮮より連れ帰った陶工を同8年に串木野郷下名村島平や鹿児島郡鹿児島城下高麗町(現在の鹿児島市高麗町)から当地に移した際に養母村(現在の東市来町養母)より分村し苗代川村として成立した。寛文5年に伊集院郷のうちとなり、同9年に伊集院郷より独立し地頭が置かれた。宝永4年に伊集院郷に復帰するが、焼物に関しては薩摩藩の管理下に置かれた。村高は「伊集院郷土史」では257石余、「旧高旧領」では253石余であった。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴いそれまでの伊集院郷の北部の区域より下伊集院村が成立。江戸期の苗代川村は下伊集院村の大字「苗代川」となった。1956年(昭和31年)には下伊集院村の一部(苗代川・宮田、寺脇の一部及び、神之川の一部)が東市来町に編入され東市来町の一部となり、同時に大字名を苗代川を改称し、東市来町の大字「美山」となった。2004年(平成16年)10月29日に美山の一部より分割され、美山元寺脇が設置された。2005年(平成17年)に東市来町が伊集院町、日吉町、吹上町と新設合併し日置市が設置されたのに伴い、従来の大字名である「美山」に旧自治体名の「東市来町」を冠することとなり、日置市の大字「東市来町美山」となった。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる
出典:wikipedia
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