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サブプライム住宅ローン危機

サブプライム住宅ローン危機(サブプライムじゅうたくローンきき、)とは、2007年末から2009年頃を中心としてアメリカ合衆国で起きた、住宅購入用途向けサブプライム・ローンの不良債権化である。サブプライム・ローンへの投資を証券化し金融商品として取引可能にした「サブプライム・モーゲージ(subprime mortgage)」は、金融市場で価格が下落するなどして、リーマン・ショックを代表例とする経済問題に発展した。リーマン・ショックは、2008年9月15日に米国の大手投資銀行であるリーマン・ブラザーズが倒産した事を引き金に発生した。関与を疑われた銀行は、後に次々と和解金を支払い、関与の違法性をふくむ事件の真相をうやむやにしている。2015年2月4日現在、主な原告であり、ファニーメイとフレディマックを監督するは、一部の住宅ローンについて元本削減を引き続き検討しているという。このような経緯から、サブプライム住宅ローン危機あるいはサブプライム問題の語は、広義として、リーマン・ショックを契機として発生した世界金融危機を含めて指す場合がある。サブプライム住宅ローン危機のおおもとの原因であるサブプライム・ローンとは、米国のサブプライム層を対象として、彼らの住宅購入用途向けに、ローンへの返済が滞った場合への担保として購入する住宅に抵当権を設定し、抵当貸付(詳細は譲渡抵当を参照)とした住宅ローン、即ちモーゲージ・ローン(mortgage loan)である。米国では日本などとは異なり、住宅ローンの証券化が広く普及しており、その債権を組み込んだ金融商品を所有していた金融機関は種類も数も多数に上る。米国の住宅の安定供給を目的として設立された、連邦住宅抵当公庫(ファニー・メイ/Fannie Mae)や、連邦住宅金融抵当公庫(フレディ・マック/Freddie Mac)などが、モーゲージ・バンク(mortgage bank)からサブプライム・ローンの債権をまとめて購入して証券化し、MBS(Mortgage Backed Securities)という担保証券の中で比較的リスクの高いサブプライム・モーゲージ(subprime mortgage)として市場に供給した。こうした制度によって発行されたサブプライム・モーゲージのうち、およそ80%が変動金利型のアジャスタブル・レート・モーゲージ() であったとされる。「住宅の値段が上昇し続ける」という考えのもと、サブプライム・ローンは過剰に供給されていた。モーゲージ・バンクが貸し付けたサブプライム・ローンの返済が滞った場合、貸主のモーゲージ・バンクは、借主即ち債務者であるサブプライム層の購入した住宅をその返済の一部として譲渡されるが、米国内での住宅価格が2006年中盤にピークを迎えた後に下落した為、サブプライム・ローンの多くが、購入した住宅の譲渡を持ってしてもローンの全額を返済し切れない不良債権となった。こうした事情を含む諸処の理由でリスクが増加すると、サブプライム・モーゲージの利回りは切り上げられた。更に住宅ローンの返済の滞納が増加したため、市場でのサブプライム・モーゲージの購入者は減り、サブプライム・モーゲージの価格は下落した。そしてサブプライム・モーゲージを保有していた金融機関や投資ファンド、政府系企業等は多額の損失をこうむり、世界的な信用収縮が起こった。前述の通り、サブプライム・モーゲージとサブプライム・ローンは、前者が金融市場で出回る証券であるのに対し、後者が住宅ローンである点で厳密には明確に異なるのであるが、メディアなどで双方を明確に区別して使われる場合は余り見られず、証券であり金融商品であるサブプライム・モーゲージの事を、あたかもローンであるかの如くサブプライム・ローンと呼んでいるケースも多々見られる。従って、本項のサブプライム住宅ローン危機の訳語も、原語のSubprime mortgage crisisの厳密な日本語訳としては正しく無いと言える。危機の直接原因もしくは引き金は、概ね2005年~2006年頃にピークを迎えた米国の住宅バブルが弾(はじ)けたことだった。以後サブプライムローンと変動金利型住宅ローンの債務不履行が急速に増加した。ローンの初期弁済額を低く抑えるといった借り手刺激策や長期的な住宅価格上昇トレンドから、借り手は多少無理のあるローンでもすぐにより良い条件で借り換えられると信じて手を出した。ところが、2006年~2007年に掛けて金利が上昇し住宅価格が緩やかな下落を始めると、米国の多くの地域ではローンの借り換えが前より難しくなった。月々の返済額が安い初期優遇期間の満了、思うように上昇しない住宅価格、及び変動金利型住宅ローンの金利が切り上がったことなどから、債務不履行や抵当物件の差し押さえが劇的に増加した。住宅価格の下落によって、ローン金額よりも住宅価値の方が低いという状況が生まれてしまい、これも借り手側が差し押さえを選ぶ金銭的な動機になった。米国で2006年終盤から顕在化したこの差し押さえの蔓延は、世界的な経済危機の主な原因の一つであり続けている。何故ならこれは消費者の富を吸い上げると共に金融機関の体力を着実に破壊するからである。危機に至るまでの何年かに渡り、急成長しつつあるアジア諸国や産油国から巨額の外資が米国に流入してきた。この資金流入は 2002年~2004年頃の米国の低金利と相俟って融資条件を大いに緩和し、住宅バブルと信用バブルの両方に油を注いだ。様々な種類のローン(例えば住宅、クレジットカード、自動車など)が簡単に組めるようになり、消費者は空前の債務を負うこととなった。住宅バブルや信用バブルの一部として、不動産担保証券 (MBS) と呼ばれる金融商品の契約高が非常に増えた。これは住宅ローンの弁済金と住宅価格を価値の裏づけとする証券である。こうした金融革新 () によって、世界中の企業や投資家が米国の住宅市場に投資できるようになった。住宅価格が下落すると、大量の資金を借りてサブプライム MBS に大きく投資していた世界的な大手金融機関が巨額の損失を計上した。住宅市場の危機が他の経済分野に波及するにつれて、他種のローンでも債務不履行や損失が目立って増加した。全世界の損失額は何兆ドルもの規模と推計されている。住宅バブルと信用バブルが形成されつつあった傍らで、様々な要因から金融システムは脆弱さを増していった。政策立案者は投資銀行やヘッジファンドといった金融機関(いわゆるシャドーバンキングシステム () )が果たすようになった役割の重要さを認識していなかった。一部の専門家はこれらの機関は米国経済への信用供与という点から見て商業(貯蓄)銀行にも匹敵する重要さを持つに至ったと信じているが、商業銀行のような法規制下にはない。これらの投資銀行やヘッジファンド等、および一部の正規の銀行は、上述したようなローンの原資とするために自らも莫大な資金を借り入れており、発生した大量の債務不履行や不動産担保証券による損失を吸収できるほどの財務的な余力が無かった。これらの損失は金融機関の融資能力を直撃し、経済活動を鈍化させた。中核的な金融機関の安定性が疑われたことから中央銀行も対応を迫られ、融資の促進と企業の重要な資金調達源であるコマーシャルペーパー市場の信頼回復のために資金を供与した。各国政府はまた更なる財政的な介入として中核的な金融機関に公的資金注入をも行った。住宅市場の落ち込みとそれに続いた金融市場の危機によって、経済全般がリスクに晒され、これは世界中の中央銀行による政策金利の引き下げや政府による景気刺激策の発動を呼んだ主たる要因となった。この危機が世界の証券市場に及ぼした影響は劇的である。2008年1月1日~同年10月11日にかけて、米国企業の株主は8兆ドルの損失を蒙り、時価総額は20兆ドルから12兆ドルに減少した。他国での損失は平均約40%である。証券市場における損失と住宅価格の下落は、経済の牽引役である消費を一層押し下げる圧力となる。先進国と発展途上国の指導者は、この危機への対抗戦略を見出すために2008年11月と2009年3月に会合を持った。2009年4月現在、危機を生んだ根本原因の多くは未だ解決されていない。様々な解決策 () が政府、中央銀行、経済学者、及び実業家から提案されてきた。サブプライム層の借り手は典型的には信用履歴と弁済能力に問題がある。サブプライムローンはプライム層顧客へのローンに比べて債務不履行に陥るリスクが高い。もし借り手が期限までに弁済を履行できなければ、貸し手(銀行その他の金融企業)は物件の所有権を得ることができ、この手続きを差し押さえと呼ぶ。米国におけるサブプライム住宅ローンの残高は 2007年3月現在 1兆3千億ドルだったと推計されており、抵当物件数で 750万件を超えるサブプライム住宅ローンが組まれていた。2004年~2006年ではサブプライム住宅ローンが全体に占めるシェアは 18%~21% であり、対して 2001年~2003年と 2007年では 10%未満だった。2007年の第 3 四半期では、サブプライム層向け変動金利型住宅ローンは米国の住宅ローン中で 6.8%を占めるに過ぎなかったが、この四半期中に生じた差し押さえ件数では 43%を占めた。2007年10月において、サブプライム層向け変動金利型住宅ローンのおおよそ 16%は弁済が 90日以上滞納されているかまたは差し押さえ手続きが始まっており、これは 2005年における同比率の概ね 3倍に相当した。2008年1月には、この滞納比率は 21%に上昇しており、2008年5月には 25%だった。米国の世帯が負った 4人家族向けまでの住宅購入用ローンの総額は、2006年末には 9兆9千億ドルであり、2008年半ばでは 10兆6千億ドルだった。2007年において、貸し手は 130万件近い物件について差し押さえ手続きを開始したが、これは2006年に比べて 79%増だった。これは 2008年には 230万件すなわち 対 2007年比 81%増に及び、更に 2009年には 280万件、対 2008年比 21%増になった。2008年8月現在、米国の住宅ローン全ての内 9.2%が滞納または差し押さえ状態にあった。2009年9月現在、この比率は 14.4%に上昇していた。2007年8月~2008年10月の間に、米国全体で 936,439件の住宅が差し押さえ手続きを完了した。差し押さえは件数と申請比率の両方で一部の州に集中している。2008年に発生した差し押さえ申請件数の 74%が 10州に集中しており、上位 2州(カリフォルニアとフロリダ)だけで 41%を構成した。9つの州は全米世帯の平均差し押さえ比率 1.84%を上回った。危機の原因は住宅市場と金融市場の両方に浸透していた様々な要因に帰せられる。これらの要因は長い年月の間に形成されてきたものである。原因として挙げられている中には次のようなものがある。主に変動金利型ローンの金利変更のため借り手が弁済不能に陥ったこと、限度を超えた借り過ぎ、略奪的な貸し付け、ブーム期間中の投機と過度の住宅建築、リスクの高い住宅ローン商品、個人と企業の債務水準の高さ、住宅ローンが債務不履行になるリスクを分散し恐らく隠蔽した金融商品、財政政策、国際的貿易不均衡、政府の規制(または規制の欠如)。サブプライム危機を呼んだ重要な触媒を三つ挙げれば、民間部門からの資金流入、銀行が住宅ローン債権市場に参入したこと、及び住宅ローンの貸し手による略奪的な貸付手法である。貸付手法の点では取り分け変動金利型住宅ローンである 2/28 ローン(初めの 2年間は固定金利で、続く28年間は変動金利となるもの)があり、これは貸し手が直接またはブローカーを通して間接に販売した。ウォール街と金融業界では、これらの原因の多くの核心にはモラル・ハザードが存在した。2008年11月15日付「金融市場と世界経済に関するサミットの声明」において、G20 の指導者たちは以下の原因を挙げた。2010年5月、ウォーレン・バフェットとポール・ボルカーはそれぞれ独立に米国の金融および経済システムに内在する疑わしい仮定や判断を指摘した。そうした仮定には次のようなものがある。低金利と巨大な外資の流入は危機に先立つ何年にも渡り緩い融資条件を創り出し、住宅市場ブームと借金で消費をする風潮に油を注いだ。米国における住宅所有率は 1994年の 64% (この比率は1980年頃から概ね一定していた)から2004年には過去最高の 69.2% まで上昇した。サブムライムローンはこの住宅所有率の上昇と住宅需要全体に大きく寄与し、これは価格を押し上げた。1997年~2006年の間に、アメリカの典型的な住宅の価格は 124% 上昇した。2001年までの 20年間において、米国内の住宅価格中央値は家計収入中央値の 2.9倍~3.1倍だった。この比率は 2004年には 4.0倍に上がり、2006年には 4.6倍になった。この住宅バブルは相当数の住宅所有者による低利融資への借り換えや住宅価格の上昇に基づいた二重抵当による消費支出に繋がった。米国家計が負う債務の年間可処分所得に対する比率は 2007年末には 127% だったが、これは 1990年には 77% だった。住宅価格が上昇する間、消費者の貯蓄率は減少し、借り入れと消費は共に増大した。家計の負債は 1974年末の 7,050億ドル、可処分所得の 60% から、2000年末には 7兆4千億ドルに増大し、遂には 2008年半ばの 14兆5千億ドル、可処分所得の 134% に達した。2008年において、米国の典型的な家庭は 13 枚のクレジットカードを所有しており、40% の家庭は借入残高があったが、これは 1970年には 6% だった。住宅価値を担保として引き出された資金による消費支出は、住宅バブルの形成につれて 2001年の 6,270億ドルから 2005年には1兆4,280億ドルに倍増し、この間の総額では 5兆ドル近くに及んだ。米国における住宅ローン残高の対 GDP 比は 1990年代の平均 46% から 2008年の 73% まで増大し、10兆5千億ドルに達した。この信用と住宅価格の爆発的増大は建築ブームを呼び、遂には過剰な住宅在庫が形成されたため、米国の住宅価格は 2006年半ばにピークを迎えたあと下降を始めた。融資条件の緩さと、住宅価格の上昇が続くと信じられたことにより、多数のサブプライム層が変動金利型住宅ローン () に手を出した。これらの住宅ローンは予め定められた一定期間中は市場相場よりも安い金利で借り手を誘い、残りの期間中は市場金利が適用されるようになっていた。初期の低利期間が満了した後、切り上がる弁済額に耐えられない場合は、借り手は住宅ローンを借り換えようとした。米国の多くの地域で住宅価格が下がり始めると借り換えは前より難しくなった。切り上がった弁済額から借り換えによって逃れる道を断たれた債務者は債務不履行に陥り始めた。住宅ローンの弁済を停止する債務者が増えるにつれて(これは現在も進行中の危機である)、差し押さえと住宅物件の売物は増える。これは住宅価格を押し下げる圧力となり、住宅所有者の資産価値をいよいよ下げる。住宅ローンの弁済が減ることは不動産担保証券の価値をも下げ、これは銀行の自己資本と財務的な健全性を蝕む。危機の中心にあるのはこの悪循環である。2008年9月現在、米国の平均的な住宅価格は 2006年半ばのピークから 20% 超下落していた。住宅価格がこのような予想外の大きな落ち込みを見ると、多数の借り手は住宅のエクイティが 0 またはマイナス、即ち家の価値が住宅ローンの額を下回ることになる。2008年3月現在、推定 880万件の債務者(住宅所有者全体の 10.8%)の住宅エクイティがマイナスだったが、これは 2008年11月には 1,200万件まで増大したと信じられている。住宅ローンは典型的には物件を抵当としたノンリコースローンなので、この状況に陥った債務者には敢えて債務不履行を選ぶインセンティブが生じる。経済学者のスタン・リーボウィッツがウォールストリート・ジャーナル紙上で述べたところでは、エクイティがマイナスである住宅は全体の 12% に過ぎないにもかかわらず、それらは 2008年下半期に生じた差し押さえの 47% を構成した。彼の結論によれば、差し押さえの主な要因はローンの種類や借り手の信用状況、弁済能力ではなく、住宅エクイティの大きさだった。差し押さえ比率の上昇は住宅の売物在庫を増やす。2007年における新築住宅の販売件数は前年比で 26.4% 減少した。2008年1月の新築住宅の売物在庫は 2007年12月の成約数の 9.8倍であり、この比率は 1981年以来最大だった。これに加えて 400万戸近い中古住宅が売りに出されており、うちほぼ 290万戸は空き家だった。この過剰な在庫が住宅価格を下げた。価格が下がるにつれて、更に多くの住宅所有者が債務不履行や差し押さえのリスクに陥った。住宅価格の下落はこの過剰在庫(過剰供給)が通常のレベルに下がるまで続くと考えられている。居住用不動産に関わる投機的な借入がサブプライム住宅ローン危機の根本原因の一つとして挙げられている。2006年において、住宅購入のうち 22%(165万件)は投資目的であり、加えて 14%(107万件)は別荘として購入された。2005年におけるこれらの数字はそれぞれ 28% と 12% だった。つまり住宅購入のほぼ 40% という記録的な割合が居住を主目的としていなかった。全米不動産業者協会()主席経済学者(当時)の David Lereah によれば、2006年における投資用購入の減退は予期されていたという。「投機目的の買手が 2006年に市場から去ったため、投資用物件の売れ行きは居住用物件の市場よりも遥かに速く落ち込んだ」。2000年~2006年の間に米国の住宅価格はほぼ倍増したが、歴史的には住宅価格は概ねインフレ率に連動してきたので、これは大変特異なトレンドだった。米国では伝統的に住宅は投機対象になってこなかったが、住宅ブームの中で動きが変わった。コンドミニアムを建築段階で購入し、完成した途端一度も入居しないまま利益目的で転売するという話をメディアは多数報告した。一部の住宅ローン業者は、顧客の中に高いレバレッジを用いて複数の物件に投資する向きがあることに気付き、こうした行動に潜むリスクに 2005年時点で気付いていた。マンハッタン政策研究所 () のニコル・ジェライナス (Nicole Gelinas) は、住宅投資の内実が保守的なインフレ・ヘッジから投機へと変質してきたにもかかわらず、税法と住宅ローン政策が適切に見直されて来なかったために生じた負の結果について描写した。経済学者のロバート・シラー () によれば、投機バブルに油を注いだのは「上昇相場にありがちな、事実を度外視するかのような伝染性の楽観主義である。バブルは元来が社会現象である。それらを加熱する心理を理解し解決しない限り、膨れ上がり続ける」。ケインズ学派の経済学者ハイマン・ミンスキーは、投機的な借入がいかに債務の上昇と最終的な資産価値の崩壊に繋がったかを描写した。ニューヨーク州検察局は信用格付け機関を欺いてサブプライム関連投資の格付けを嵩上げした容疑で 8行の銀行を調査している。米国証券取引委員会、アメリカ合衆国司法省、及び連邦検察局 () その他は、史上最悪の投資商品の一つとなった住宅ローン証券を銀行がどのように創り出し、格付けし、販売・交換したかを調査している。2010年現在、刑事民事を含め殆ど全ての捜査は未だ緒に就いたばかりである。ウォーレン・バフェットは金融危機調査委員会 () に対して次のように証言した。「あれは私が生涯見てきた中で最大のバブルだった。…アメリカ市民全体が、住宅価格が劇的に下がることは有り得ないという信仰に囚われていた」。危機に先立つ何年かにかけて、貸し手の振る舞いは劇的に変化した。貸し手は高リスクな借り手に対してどんどん融資を申し出たが、その中にはアメリカへの不法移民 () さえ含まれていた。1994年におけるサブプライム住宅ローン総額は 350億ドル(新規融資全体の 5%)だったが、 1996年には 9%、 1999年には 1,600億ドル (13%)、そして2006年には 6,000億ドル (20%) になった。連邦準備制度のある調査によれば、サブプライム住宅ローンとプライム住宅ローンの平均的な金利差(「サブプライム割増」)は 2001年~2007年の間に顕著に縮まった。このリスク割増の低減と融資条件の緩和が同時に起きるという現象は、信用循環 () におけるバブル形成とその破裂に共通するものである。高リスクな借り手が増大した件について補足すれば、貸し手もまたますますリスキーな融資オプションや拡販施策を打ち出してきていた。2005年において、住宅を初めて購入する場合の頭金の中間値は 2% だったが、このような購入者の 43% は頭金を一切払わなかった。対照的に、中国では 20% 超の頭金が要求されており、非プライム層向けではこの額は更に上昇する。米国における住宅ローンの適格審査条件は変化し始めた。まず、申告所得・確認資産 (SIVA) ローンが現れた。つまり所得があることの証明は不要になった。借り手は単に所得があると「申告」し銀行預金があることを示せば良かった。次に、無所得・確認資産 (NIVA) ローンが現れた。貸し手はもはや働いていることの証明を求めなくなった。借り手は単に銀行口座に預金があることの証拠さえ示せば良くなった。ローンと証券の拡販のため審査条件は緩くなり続け、遂には NINA が現れた。NINA は無所得・無資産の略である(別名「ニンジャ・ローン」() ともいう)。基本的に、NINA ローンは正規のローン商品であり、所有資産の証明どころか申告さえ不要で融資してくれる。融資を受けるのに要るのは唯一クレジットスコアだけだった。もう一つの例として「利息のみを支払う」変動金利型住宅ローン (interest-only ARM) がある。この商品では、住宅購入者は初期期間は利息のみを支払い、元金は返さなくてよい。また「支払いオプション」ローンというものもあり、この商品では住宅購入者は払える額だけを払えば良く、その代わり払われなかった分の利息は元金に組み込まれる。2004年~2006年の間に新規に融資された変動金利型住宅ローンのうち、推定 1/3 は 初期金利が 4% 未満であり、一定期間経過後に著しく上昇するようになっていた。中にはそれによって月々の返済額が倍増するものもあった。従来的な好条件の住宅ローンでも審査を通るに十分なクレジットスコアを持っているにもかかわらず、変動金利型サブプライム住宅ローンを受けることになった人々の比率は、2000年の 41% から 2006年の 61% に上昇した。とはいえ、融資に関わる要因はクレジットスコア以外にも多数ある。加えて、一部の住宅ローンブローカーは公定(つまり非サブプライム)住宅ローンを受けられるような借り手でも敢えて変動金利型サブプライム住宅ローンに誘導するよう貸し手から奨励金を受けていた。住宅ローンの審査条件はブーム期間を通じて急勾配で緩くなった。自動審査が導入され、適切な吟味や文書作成を省略してローンが認められるようになった。2007年にはサブプライムローン全体の 40% は自動審査で成約していた。米抵当銀行協会 () 議長のジョン・ロビンス (John Robbins) は、融資ブローカーは住宅ローンの件数をこなして手数料で儲けることばかり考えて、借り手の弁済能力を十分検査しなかったと批判した。貸し手と借り手双方による住宅ローン詐欺は途方も無く増えた。2004年、FBI は非プライム住宅ローン業務における重大な信用リスクとして住宅ローン詐欺が「大発生」していると警告を発し、このままでは「S&L 危機 () に匹敵する規模の問題」になりかねないと述べた。では融資基準が緩くなったのは何故だろうか? ピーボディ賞を受賞したあるラジオ番組の中で、NPR の記者は、2000年代初頭に(70兆ドルに上る安定投資 () 需要に代表される)「巨大な資金プール」が米国債よりも高い利回りを求めていたと論じた。更に、この資金プールの大きさは 2000年~2007年にかけて 2倍に膨れ上がったが、比較的安全で利益の出る投資先の供給はこれに追い付けなかった。この需要に対して、ウォール街の投資銀行は不動産担保証券 (MBS) や債務担保証券 (CDO) のような金融革新 () を以て応え、これらには信用格付け機関によって「安全」の格付けが与えられた。結果として、ウォール街はこの資金プールを米国の住宅ローン市場に繋ぐこととなり、住宅ローンのサプライ・チェーンに関る各種企業に莫大な手数料収入を齎した。このチェーンはローンを販売する住宅ローンブローカーに始まり、ブローカーに資金を供給する小規模銀行を通り、その背後に存在する巨大な投資銀行群に至る。概ね 2003年頃には伝統的な融資基準に則って融資される住宅ローンの供給は枯渇してしまった。反面、MBS と CDO に対する持続的な強い需要によって融資基準が押し下げられ始め、サプライ・チェーンを通じて住宅ローンが売れ続ける限りこの傾向は続いた。最終的に、この投機バブルは持続不可能であることが露呈してしまった。NPR はこれを次のように描写している:伝統的な住宅ローンのモデルは貸し手である銀行が借り手/住宅所有者に融資を発行し以後信用(債務不履行)リスクを負い続けるものだった。証券化の出現によって、この伝統的モデルは「分配のための発行」(originate to distribute) モデルに道を譲った。これは本質的に銀行が住宅ローンを販売し信用リスクを投資家に不動産担保証券を通じて分配するものである。証券化によって住宅ローンの発行者はもはや満期までそれらを持ち続ける必要が無くなった。住宅ローンを投資家に売ることで、発行元である銀行は資金を回収でき、更なるローンを発行可能になり手数料収入を得ることもできる。これは住宅ローン取引を増やすことに動機を与えつつそれらの信用品質を確保することには動機を与えないというモラル・ハザードを生み出した。証券化は 1990年代半ばに加速した。不動産担保証券 (MBS) の総額は 1996年~2007年の間に殆ど 3倍の 7兆3千億ドルになった。サブプライム住宅ローンに占める証券化分のシェア(つまり MBS を通じてサードパーティの投資家に渡った分)は 2001年の 54% から 2006年には 75% になった。米国の住宅所有者、消費者および企業は、2008年を通じておおよそ 25兆ドルを借り入れた。米国の銀行はこの総額のうち約 8兆ドルを伝統的な住宅ローンの形で持ち続けた。株主とその他の伝統的な貸し手が別に約 7兆ドルを提供した。残る 10兆ドルは証券化市場から来ていた。この証券化市場は 2007年春から縮小を始め、2008年秋には閉鎖も同然になった。かくして民間信用市場における資金源の 1/3 以上が消滅したのである。2009年2月、ベン・バーナンキは証券化市場は依然として事実上閉鎖状態にあると述べた。例外はファニーメイとフレディマックに売却可能な公定住宅ローンのみだという。証券化とサブプライム危機の間のもっと直接的な結び付きは、審査者、格付け機関や投資家たちがローンや証券化プールが有するリスク相関 () を数学的にモデル化した際に犯した根本的な誤りと関係している。相関モデリング ― あるプールの中の一つのローンを取り出してその債務不履行リスクを決定する方法は、統計的にその他のローンの債務不履行リスクと関連している ― は統計学者の李 祥林 () が開発したガウス・コピュラという技法に基づいていた。この技法は、証券化取引に伴うリスクを評価する手段として広く採用されたが、実は相関を調べる上では余りにも単純化され過ぎた方法を採っていた。不幸なことに、この技法に潜む欠陥が市場参加者に露呈したのは、サブプライムローンで裏付けされた何千億ドルもの資産担保証券 (ABS) や CDO が既に格付けされ売り捌かれた後だった。投資家たちがサブプライム担保証券を買うのをやめた時には ― これによって住宅ローンの融資企業はサブプライムローンを転嫁不能になった訳だが ― 危機の影響は既に顕在化し始めていた。ノーベル経済学賞受賞者のマイケル・スペンスはこう書いている。信用格付け機関は現在、リスクの高いサブプライム住宅ローンに基づいた不動産担保証券 (MBS) に「投資適格」等級を与えてきたことで取り調べの対象となっている。これらの MBS が投資家に売れたのはこうした高い格付け故のことで、それによって得られた資金が住宅ブームを支えた。これらの格付けは債務不履行保険やエクイティ投資家による損失引受けといったリスク低減施策によって正当化されていると信じられていた。しかしながら、サプブライム関連証券の格付けに関与した関係者の一部が格付け過程に瑕疵があることを当時既に知っていた形跡もまた存在する。批評家たちは、格付け機関には利益相反行為があったと主張している。仕組証券を作成・販売した投資銀行その他の企業自体から報酬を得ていたからである。2008年6月11日、SEC は格付け機関と仕組証券発行者との利益相反を緩和するためのルールを提案した。2008年12月3日、SEC は信用格付け機関への監督強化策を可決した。これは 10ヶ月に及ぶ調査を通じて利益相反を含む「格付け過程の明らかな弱点」を発見してのことだった。2007年第 3 四半期~2008年第 2 四半期の間に、格付け機関は 1兆9千億ドル相当の不動産担保証券 (MBS) について信用格付けを引き下げた。金融機関は所有 MBS の資産価値を下げざるを得ず、自己資本比率を維持するために増資が必要になった。これが新株発行に至った場合は、発行済株式の株価が下がった。こうして、格下げによって多数の金融機関の株価が下落した。政府による誤った規制と規制緩和の両方が危機に寄与した。議会証言において、 SEC とアラン・グリーンスパンは共に、投資銀行に自主規制を許したことの過ちを認めた。持家所有者を増やすことは、ルーズベルト、レーガン、クリントンや G.W.ブッシュなど、何人もの大統領たちの目標だった。1982年、米国議会は選択的抵当権取引均等法 () (AMTPA) を可決し、これによって連邦の認可を得ていない住宅融資業者が変動金利型住宅ローンを発行する道を開いた。1980年代初頭に現れて普及した新型の住宅ローンには、オプション変動金利型、バルーン支払型、そして利息のみ支払型 (interest-only) 住宅ローンなどがあった。これらの新型ローンは銀行が長年営んできた従来的な固定金利の割賦住宅ローンに取って代わったことで特筆される。S&L 危機 () に繋がった銀行業規制緩和に対する批判の中には、これらのローンの悪用を防ぐような規定を議会が作り損ねたというものがある。これ以後、変動金利型住宅ローンを用いた略奪的な融資行為が蔓延した。サブプライム住宅ローンの凡そ 80% は変動金利型住宅ローンである。1995年より、ファニーメイなどの政府支援機関は、低所得者へのローンを含むような不動産担保証券を購入する際に政府から税制上の優遇措置を受けるようになった。こうしてファニーメイとフレディマックがサブプライム市場に関り始めた。1996年、アメリカ合衆国住宅都市開発省 (HUD) は、ファニーメイとフレディマックに対し、住宅ローンを借りる世帯の所得の中間値に着目して、購入する住宅ローンの少なくとも 42% はその中間値を下回るような世帯向けに発行されたものであることとする目標を課した。この目標は 2000年には 50% に、2005年には 52% に引き上げられた。2002年~2006年にかけて、米国のサブプライム市場が以前の 292% まで成長したのに伴い、ファニーメイとフレディマックを合わせたサブムライム証券の年間購入額は 380億ドルから 1,750億ドルまで膨らみ、その後で年間 900億ドルまで落ち込んだ。この中には 3,500億ドルの「Alt-A」証券(プライムとサブプライムの中間のリスクを持つとされる証券())が含まれていた。ファニーメイは 1990年代初頭に債務不履行リスクが高いことから Alt-A 商品の買い入れを一度は取りやめていた。2008年の時点で、ファニーメイとフレディマックは直接または(購入した住宅ローンのプールを通じて)間接に 5兆1千億ドルの住宅ローン債権を所有しており、これは米国住宅ローン市場全体の約半分に相当した。政府支援機関 (GSE) は常に高いレバレッジを用いてきており、それらの純資産は 2008年6月30日現在僅か 1,140億ドルしかなかった。2008年9月、GSE の信用保証能力に懸念が生じた結果、連邦政府はそれらの法人を保存管理者状態() に置くことを強いられ、事実上納税者負担によって国有化した。グラス=スティーガル法は世界大恐慌を受けて成立した。これは商業銀行と投資銀行を分離したもので、一つには前者による融資行為と後者による格付け行動の間に潜在する利益相反を回避することを意図していた。経済学者のジョセフ・スティグリッツはこの法律が廃止されたことを批判した。彼はこの廃止を「議会ではフィル・グラム () 上院議員が唱導した … 銀行および金融業界による 3億ドルを投じたロビー活動の総決算」と呼んだ。彼はこれが危機に寄与したと信じている。何故なら投資銀行的なリスクを取る文化がより保守的な商業銀行的文化を圧倒し、ブーム期間中のリスクテイク水準とレバレッジ水準を増大させたからである。1980年代後半の貯蓄金融危機 () の際に連邦政府が貯蓄金融機関に対して公的資金注入を行ったことは、他の金融機関が高リスク融資を行うことに弾みを付けたかも知れず、従ってモラル・ハザードを煽った可能性がある。保守派とリベラル派は米国コミュニティ再投資法 () の影響についても議論してきた。この法律を巡る議論には、成立した1977年当時の米国における低~中所得者層助成に絡んで人種差別問題とも関連があるため微妙な側面があるが、批判派はこの法律が信用不適格な借り手に対する融資を煽ったと主張しており、擁護派は 30年間に渡ってリスクを増やすことなく融資してきた歴史を主張している。批判派はまた、1990年代半ばの CRA 改正が、さもなくば融資不適格だった筈の低所得者への住宅ローン総額を増大させ、そのうちかなりの数がサブプライムだったにもかかわらず CRA に基づく住宅ローンの証券化を許したと主張している。連邦準備制度理事会のメンバーであるランドール・クロズナー () と連邦預金保険公社 (FDIC) 議長のシェイラ・ベア (Sheila Bair) は、共にCRA に危機の原因を求めるべきではないとの考えを表明した。2010年1月、経済学者のポール・クルーグマンは、住宅および商業不動産の価格バブルが同時に膨らんだという事実がファニーメイ、フレディマック、CRA や略奪的融資が危機の主原因だとする人々の論拠を崩していると論じた。別の言い方をすれば、これらの潜在的な原因に影響されたのは住宅市場だけだったにもかかわらず、バブルは両方の市場で発達した。各国の中央銀行は通貨政策を司りインフレ率の目標を定めることができる。彼らは商業銀行に対して何がしかの監督権限があるし、その他の金融機関についても同様でありうる。それに比べれば住宅バブルやドットコムバブルのような資産の価格バブル防止には関心が薄い。各国の中央銀行は一般にバブルが弾けたあとで行動を起こすことが多く、バブル自体を防いだり食い止めたりするよりは寧ろ事後的に経済が蒙る被害を最小化しようとしてきた。何故なら、資産バブルの発生を特定したりこれを縮小させるための然るべき財政政策を見つける仕事は、まずは経済学者たちによる議論を待つことになるからである。一部の市場観察者は連邦準備制度による介入はモラル・ハザードの増大を招きかねないと懸念してきた。米国会計検査院 () のある批評家によれば、1998年にニューヨーク連邦準備銀行が ロングターム・キャピタル・マネジメント を救済したことで、大手金融機関は、高リスクなローンが不良債権化してもそれらの銀行が「大き過ぎて潰せない」という理由で連銀が介入してくれると考えるようになったかも知れない。住宅価格が上がった根本原因の一つは、連銀が 2000年代初頭に金利を下げたことだった。2000年~2003年にかけて、連銀はフェデラル・ファンド金利の誘導目標を 6.5% から 1.0% に引き下げた。これはドットコムバブルの崩壊と2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を緩和してデフレ懸念を払拭しようとしたものだった。連銀は基本的にインフレ率が低かったことから利下げに問題はないと信じており、その他の重要な要素には注意を払わなかった。ダラス連邦準備銀行総裁兼 CEO のリチャード・フィッシャー () によれば、2000年代初頭の連銀の金利政策は誤導されていた。何故なら当時測定されたインフレ率は真のインフレ率を下回っていたからで、その結果住宅バブルに繋がる金融政策が導かれたのだという。連邦準備制度理事会の現議長であるベン・バーナンキによれば、それは世界的な「貯蓄過剰」にって生じた米国への海外資本乃至貯蓄の流入で、このために中央銀行の挙動に関わり無く長期金利が低く留まっていた。連銀はその後 2004年7月~2006年7月にかけてフェデラル・ファンド金利を大きく引き上げた。これは変動金利型住宅ローンの 1年金利と 5年金利が上昇する原因となり、従って変動金利型住宅ローンの金利変更は住宅所有者にとって更に高いものとなった。このこともまた住宅バブルが収縮する原因だったかも知れない。というのは一般に資産価格は金利とは逆に動くので、住宅投機のリスクが上がったからである。多数の金融機関、中でも特に投資銀行は、2004年~2007年にかけて巨額の資金を調達し不動産担保証券 (MBS) に投資した。本質的には住宅価格が上がり続けることと、家計が住宅ローンの支払いを正常に継続することに賭けた。低い金利で借り入れた資金をより高い金利で投資することは金融レバレッジの 1形態である。これは個人で言えば持ち家に二重抵当を設定して調達した資金を株式市場に投資することに似ている。この戦略は住宅ブーム期間中は利益を生んだが、住宅価格が下降に転じ住宅ローンが債務不履行に陥り始めると巨額の損失を招いた。2007年以降、不動産担保証券を所有していた金融企業と個人投資家もまた、住宅ローンの債務不履行とこれに伴う不動産担保証券の値崩れによって大きな損失を蒙った。2004年に証券取引委員会 (SEC) が純資本規制 () に関して下した決定によって、米国の投資銀行は従来よりかなり多くの借り入れが可能となり、その分は不動産担保証券の購入に注ぎ込まれた。2004年~2007年にかけて米国の5大投資銀行はそれぞれレバレッジを顕著に増大させ(右図参照)、それによって不動産担保証券の価値低下に対する脆弱性が増した。これら5大機関が 2007年の会計年度に報告した債務は 4兆1千億ドルを超えており、これは 2007年における米国の名目 GDP の約 30% に相当した。更に、新規融資件数全ての中でサブプライム住宅ローンが占める比率は 2001年~2003年の 10% 未満から 2004年~2006年では 18~20% に増大しており、この一部は投資銀行からの資金調達によるものだった。2008年を通じ、米国の投資銀行最大手のうち 3行が破産するか(リーマン・ブラザーズ)または他の銀行に捨値で売られた(ベアー・スターンズとメリルリンチ)。これらの破綻は世界的金融システムの不安定さを増した。残る 2つの投資銀行であるモルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスは商業銀行に転換する道を選び、自らをより厳格な規制下に置くことにした。危機に至るまでの年月を通じて、米国の貯蓄銀行上位 4行は推定 5兆2千億ドルの資産や負債を SPV など簿外のシャドーバンキングシステムに移した。これは本質的に最小自己資本比率に関する規制逃れであり、お陰でブーム期間中はレバレッジと収益が押し上げられたが、危機が始まると損失を膨らませた。新しい会計基準ではこれら資産の一部を 2009年中に帳簿に戻す必要があり、これは自己資本比率を著しく低下させるだろう。ある通信社はこの額は 5,000億ドルから 1兆ドルの間になると推計した。この効果は 2009年に政府が実施したストレステストの中でも考察された。2009年6月にマーチン・ウルフ () は次のように書いている。「2000年代初頭に銀行業界がやったことの巨大な部分 ― 簿外機関、デリバティブや『シャドーバンキングシステム』そのもの ― は規制逃れの道を探すことが目的だった」。ニューヨーク州会計監査官事務所によれば、2006年にウォール街の経営幹部が家に持ち帰ったボーナスは 239億ドルに達した。「ウォール街のトレーダー達が考えていたのは年末のボーナスのことで、会社の長期的な健全性のことではなかった。システム全体 ― 住宅ローンのブローカーからウォール街のリスク管理者まで ― が長期的な負債を無視して短期的リスクを取ることに走っているように見えた。最も破滅的で忌まわしい証拠として、銀行の経営陣の殆どはそうした[投資の]仕組みをよく解っていなかったのだ」。投資銀行員たちの報酬インセンティブが焦点を当てていたのは金融商品を組み立てて得られる手数料であり、そうした商品のパフォーマンスや時間をかけて得られる利益ではなかった。賞与の支給形態は株式よりも現金に強く傾斜しており、作成された MBS や CDO が利益を出さなかった場合でも企業側がボーナスを回収できるようにはなっていなかった。更に、大手投資銀行が負った(レバレッジの形を取った)リスク増は上級幹部の報酬額の算定に当って適切に算入されていなかった。クレジット・デフォルト・スワップ (CDS) は債権者(特に不動産担保証券の債権者)によって、債務不履行リスクに対するヘッジ及び防御として利用される金融商品(相対の保険契約の一種)である。サブプライム住宅ローンに関連した損失によって銀行その他の金融機関の純資産が毀損されるにつれて、保険提供者が契約者に保険金を支払う事態になる蓋然性が高まった。これはシステム全体に不透明感をもたらした。何故なら投資家には、住宅ローンの不履行の穴埋めを迫られるのがどの企業なのか判らなかったからである。全てのスワップや他の金融デリバティブと同様に、CDS は(取り分け債権者にとっての債務不履行リスクに対する)リスクヘッジや投機的な営利目的で利用できる。CDS の総残高は 1998年~2008年の間に 100倍増となり、CDS 契約によってカバーされる債務の推計額は、2008年11月現在で 33兆ドルから47兆ドルに達した。CDS に関する法規制は緩い。2008年時点では、CDS の当事者が CDS 契約に基づく債務を履行不能に陥った場合にこれを引き受けるような中央クリアリングハウスは存在しなかった。CDS 関連債務の公表義務は不十分であるとして批判されている。AIG、、 などの保険会社は、住宅ローンの不履行が広がり CDS で損失を蒙る潜在リスクが増大したため格下げに直面した。これらの企業はこのリスク資産を打ち消すために追加の資本調達を余儀なくされた。AIG は CDS で 4,400億ドルの不動産担保証券を保証していたことが原因となって連邦政府による資本注入を仰ぐ事態となった。投資銀行のリーマン・ブラザーズが 2008年9月に破産したとき、その 6,000億ドルに上る債券残高の CDS 契約をどの金融機関が履行することになるのかは大変不透明だった。メリルリンチは 2008年に巨額の損失を計上したが、その原因の一部は、メリルリンチの債務担保証券 (CDO) に対して AIG が CDS を提供するのを中止した後に、CDO のポートフォリオの中で未ヘッジだった部分の価値が下落したことだった。メリルリンチは取引先から同社の支払い能力と短期債務の借り替え能力について信用を失ってしまい、結果として同社はバンク・オブ・アメリカに吸収された。経済学者のジョセフ・スティグリッツは CDS がシステム的なメルトダウンを齎した経緯を次のように総括した。「これだけ複雑に絡まり合った多数の巨額の賭けの中では、誰一人として、他人の財務状況はおろか自分の現状でさえ確たる把握は不可能だった。金融市場が麻痺したのも驚くには当たらない」。作家のマイケル・ルイスは、CDS によって多数の投機家が同一の住宅ローン債券と CDO に賭け金を積めるようになったと書いた。これは言わば、多数の人が同一の家について保険契約を結べるようなものである。CDS による保証を買った投機家は顕著な債務不履行が発生することに賭けていたのであり、売り手(例えば AIG)はその逆に賭けていた。理論的には、CDS の買い手と売り手さえ見付かれば、同じ一つの住宅関連証券に対して無限の金額を賭けることが可能である。更に、2010年4月に流れた報道によれば、ヘッジファンドの一つである をはじめとする市場参加者は、CDS を用いて反対に賭け易くするために、信頼性の低い住宅ローンを組み込んだ CDO を発行するよう働きかけた。NPRによれば、マグネターは投資家に CDO の購入を薦めると同時にその逆に賭けており、後者の賭けについては公表していなかった。CDS のポートフォリオであり合成資産担保証券(シンセティックCDO)と呼ばれる商品も、2010年4月に SEC がゴールドマン・サックスを告発する原因となった。2005年、ベン・バーナンキは米国の大規模かつ依然悪化しつつある経常赤字によって予想される結果について言及した。これは米国における貯蓄に対する投資超過、または輸出に対する輸入超過に起因している。1996年~2004年の間に、米国の経常赤字は 6,500億ドル増加した。対 GDP 比で 1.5% から 5.8% への増大である。米国は主にアジアの発展途上国や産油国などから巨額の国際投資を引き寄せた。国際収支統計の恒等式に基づけば、ある国(例えば米国)の経常収支が赤字なら、資本収支(投資)は同額の黒字になる。国外の投資家にそれだけの資金があったのは、貯蓄率が非常に高いか(例えば中国では 40% に達する)、または原油価格が高いからである。バーナンキはこれを「世界的貯蓄過剰」()と呼び、それが米国に資本を「押し込んだ」のではないかと述べたが、他の経済学者の一部は見解を異にしており、米国の高い消費水準によってそうした資本が「引き込まれた」のだとしている。別の言い方をすれば、ある国は収入以上に消費することはできないが、資産を外国人に売却するか、または外国人が望んで融資してくれる場合はその限りでないということだ。逆にある国が国内の設備投資を増やしたいと望むなら、変動為替相場制を採っている場合は輸入をも増やしてバランスを取ることになる。押し込んだか引き込んだかはさておき、米国の金融市場は資金(資本または流動性)の「洪水」に見舞われた。外国政府は米国債を購入することで資金を提供し、これによって危機の直接的な被害を相当程度回避した。その一方で米国の家計は、外国から借り入れた資金を消費や住宅および金融資産の値を吊り上げるために使った。米国の住宅および金融資産の価値は住宅バブルが破裂したあと劇的に下落した。2008年6月の講演の中で、ニューヨーク連邦準備銀行総裁(当時。後に財務省長官)のティモシー・ガイトナーは、金融市場の麻痺を「並行」銀行システム、別名シャドーバンキングシステム にて生じた「取り付け騒ぎ」に起因するものとして強く非難した。これらの機関は金融システムを支える金融市場の中で重大な地位を占めるに至ったが、貯蓄銀行のような規制監督下には置かれていない。しかもこれらの機関は脆弱だった。何故ならそれらは流動性市場から短期の資金を調達しては、長期の非流動的かつリスクの高い資産を購入していたからである。このため、金融市場が崩壊すると、それらは忽ち資金不足に見舞われ長期資産を安値で売り払う事態に陥り易い。ガイトナーはこれらの機関の大きさを次のように描写した:「2007年初頭、資産担保型約束手形導管 (導管)、投資ビークル () の中身、オークション式優先証券()の中身、償還請求権付入札利率債券(Tender Option Bond、TOB)、および変動金利要求証券(VRDN=variable-rate demand notes)を合わせた資産総額はおおよそ 2兆2千億ドルだった。トライパーティ・レポ取引の翌日物資産は 2兆5千億ドルに成長した。ヘッジファンドが保有する資産は凡そ 1兆8千億ドルに成長した。当時の五大投資銀行のバランスシート合計額は 4兆ドルだった。これに対し、米国における上位5行の銀行持ち株会社が同時点で保有していた資産合計は 6兆ドル強に過ぎず、(正規の)銀行システム全体が所有していた資産総額は約 10兆ドルだった」。ガイトナーによれば「これらの要素が合わさった結果として出来上がったのは、自己膨張的な資産価格と信用循環に対して脆弱な金融システムだった」。ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマンは、シャドーバンキングシステムに走ったことが、危機を呼んだ「出来事の核心」であると記した。「シャドーバンキングシステムが重要性において伝統的な金融業に匹敵あるいは凌駕さえするにつれて、政治家および政府官僚は彼らが世界大恐慌を生んだのと同種の金融的な脆弱性を復活させつつあることに気付くべきだった ― そして彼らはこれらの新たな機関を制御できるように規制と金融的なセーフティネットを拡充すべきだった。指導者たちが公式に打ち出すべきだったのは単純なルールである:つまり、銀行がやることをやり、危機の中では銀行と同様に救済されねばならないものは、それが何であれ、銀行と同様に規制されるべきなのだ」。彼はこの制御の欠如を「悪質な無視」と呼んだ。シャドーバンキングシステムに支えられた証券化市場は 2007年春に縮小を始め、2008年秋には閉鎖も同然になった。かくして民間信用市場の 3分の1超が資金源として利用不能になった。ブルッキングス研究所によれば、2009年6月現在、伝統的な銀行システムはこの穴を埋めるだけの資本は有していない:「あれだけの融資規模を上積みできるほどの資本を形成するには、何年もの間高い利益が上がり続けなければならないだろう」。この著者たちによれば、ある種の証券化手法は「永遠に失われたと見るのが確からしい、何故なら極めて緩い信用環境が続いたことによる産物だったからだ」。2010年1月、経済学者のマーク・ザンディ () は、金融危機調査委員会 () で次のように証言した:「証券化市場も依然として壊滅状態にある。投資家たちがローンで更なる損失を見込んでいるからだ。投資家たちはまた、来るべき法規および会計基準の変更と規制改革の行方を見定められずにいる。民間における住宅および商業不動産担保証券、資産担保証券、および債務担保証券 (CDO) の起債額は 2006年の約 2兆ドルをピークとし … 2009年における民間起債額は 1,500億ドルを下回っており、その殆ど全てが FRB の TALF プログラムによるもので、クレジットカード、自動車および小規模事業向け融資事業者を支援するための資産担保債だった。住宅および商業不動産担保証券と CDO の起債は未だに眠ったように動かない」。2010年3月のエコノミスト紙によれば「ベア・スターンズとリーマン・ブラザーズは翌日物レポ取引 () の貸し手(その多くは自分が持っていた証券化された担保の品質が分らなくなってしまった MMF )がパニックに陥って起こした静かな取り付け騒ぎによって潰されたノンバンクだった。リーマン破綻後にこれらのファンドが大量の償還を行ったため大企業における短期資金調達が麻痺した」。2007年6月~2008年11月の間に、アメリカ人は純資産の 1/4 超を失った。2008年11月初めまでに、米国株式の広範な指標である S&P 500 は 2007年の最高値から 45% 下落した。住宅価格は 2006年のピークから 20% 下落し、更に先物市場は 30~35% の潜在的な下落を示唆していた。米国の住宅エクイティの合計は 2006年に最高額 13兆ドルを記録した後 2008年半ばには 8兆8千億ドルに落ち込んでおり、更に 2008年末になってもまだ下がり続けていた。退職金基金の合計は、アメリカ人の家計資産としては 2番目に大きいが、22% 目減りし、2006年の 10兆3千億ドルから 2008年半ばには 8兆ドルになった。同時期に、貯蓄と投資資産は(退職金基金とは別に)1.2兆ドルを失い、年金基金は 1.3兆ドルを失った。これらを合わせると、損失合計は 8兆3千億ドルという唖然とすべき額となる。米国の少数民族は人口比率を上回る比率でサブプライム住宅ローンを受けていたため、結果的に差し押さえの発生比率も高くなっている。2007年2月、危機は金融分野にはっきりと影響を及ぼし始めた。同月、世界最大の銀行グループ(2008年現在)であるHSBCホールディングスが、所有していたサブプライム関連不動産担保証券の評価額を 105億ドル切り下げた。これはサブプラム関連で初めて報告された大規模損失だった。2007年中に少なくとも 100社の住宅ローン会社が閉鎖、事業停止、または売却の憂き目に逢った。経営陣も無傷では済まされず、2007年後半にはメリルリンチとシティグループの最高経営責任者が互いに一週間と間を空けず相次いで辞任した。危機が深刻化するにつれ、合併したり合併交渉の開始を公表する金融機関が相次いだ。2007年、この危機は金融市場でパニックを引き起こし、投資家は高リスクな住宅ローン証券や不安定なエクイティから資金を引き上げて「価値の待避所」(stores of value) として商品市場に投入した。金融デリバティブ市場の崩壊に続く商品先物市場における投機によって2007年-2008年の世界食料価格危機と原油価格高騰 () が発生した。手早い収益を求める投機筋はエクイティや住宅ローン債券から何兆ドルもの資金を引き上げ、そうした資金の一部は食料や原材料に投資された。住宅ローンの債務不履行と将来的な債務不履行に備えた引当金のために、連邦預金保険公社 (FDIC) の保護下にある米国の貯蓄機関 8,533行の収益は 2006年第 4 四半期の 352億ドルから 1年後には 6億4,600万ドルまで 98% の減少を見た。2007年第 4 四半期における銀行と貯蓄金融機関の業績は 1990年以来最悪となった。2007年全体では、預金保険のある貯蓄機関の利益は約 1,000億ドルだったが、これは 2006年の 1,450億ドルという記録的な数字から 31% 減だった。2007年第 1 四半期の利益は 356億ドルだったが、2008年第 1 四半期の利益は 193億ドルであり、46% 減だった。2008年8月現在、世界中の金融機関が蒙った所有サブプライム関連証券の評価損失計上額は 5,010億ドルに達していた。国際通貨基金の推計では、世界の金融機関が蒙る所有サブプライム不動産担保証券の評価損は最終的に 1兆5千億ドルに達するだろうという。2008年11月までにこのうち約 7,500億ドルが顕在化した。これらの損失は世界的金融システムの資本をごっそり消し飛ばしてしまった。バーゼル協定 () の調印国に本部を置く銀行は、消費者や企業への融資残高に対して少なからぬパーセントの資本を内部留保しなければならない。従って、上述したような銀行資本の巨額の損失が発生した結果、事業や家計に対する信用供与も落ち込んだ。2008

出典:wikipedia

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